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2007年08月28日

複雑・相対

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・現在の「複雑性」の概念は、過去にあった「単純性」という対概念を失ってしまった。対概念のない概念は無内容と紙一重であるが故に、「複雑性」はその意味で不安定だ。

・単純だと考えられていた要素は、実は全て複雑だったのだ。単純なものなど最早存在しない。全ての要素は無限に細分化・相対化されるため、複雑である。

・民主主義も、自由主義も、資本主義も、人権も、国家主義も、民族主義も、伝統も、平等も、博愛も、それらを正当化する根拠はどこにもない。

・しかし、根拠がないものを採用することには価値がある。

・という価値観にも根拠はない。

・どこからか始める必要がある。その地点は、便宜上の出発点であって、恣意的なものだ。そこには偶然性も必然性もない。最後の根拠は、常に最後から二番目の根拠でしかない。

・思想群・学システムは円環構造を形成し、自律的な区別基準を持つ。普遍性は複数存在する。それを超えた、普遍的な普遍性など恐らく、存在しない。

・「お互いの承認」なんてやり方で現在の調停が出来るはずがない。「自著を批判する人間を著者は受け入れるべきだ」?違うだろ。承認とは、 著者の前で本を読まずに燃やす人間を受け入れることだ。

・社会には合意形成の振る舞いだけがある。根拠がないものを根拠があるように見せ掛け、複雑な事態をなるべく単純に見せるのだ。

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2007年08月27日

不確か

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・社会の圧倒的な不確かさに気付いた時、人は震える。社会には、比喩ではなく、確かなものは何もない。本当に何もない。このことに対する気付きは、数学者が四次元を頭に描くことが出来た瞬間に似て、経験ではなく思考操作の中で了解され、個人の中の爆発として体験される。

・全ての制度、全ての思想は、適当だ。何の根拠もなく採用されている。その採用が人々に幸せを齎すということにして、採用されている。

・社会学は自明を疑い、様々な物語を解体してきた。しかし、反常識ゲーム・反自明性ゲームとしての社会学も、様々なレベルの共同体幻想を解体させる左翼も、役割を終えた。何故なら、自明性のなさは出発点であり、前提だからだ。それは最早暴くものではなく、根拠のなさは驚きではない。幻想は終わった。神以外の神も死んだ。

・全ての価値観は対等であり、優劣をつける手段は原理的に存在しない。あるのは、どの価値観を採用するかという戦略だけだ。

・人々がある価値観を採用するには、幻想がなくてはならない。その価値観が優れているという幻想だ。故に、幻想は否定された後、戦略の為に再生産される。現実主義者たちは、幻想を作る。その最たるものが、多数決にせよ何にせよ、価値観に優劣をつけることが出来るという幻想だ。「正しい価値観は人によって異なる」という幻想だ。

・しかし現実はそうではない。「正しい価値観」自体、個人のレベルでも存在しないのだから。あるのは、「採用している価値観」だけだ。けれど、「採用している」という感覚は社会運営に好ましくないので、人々の心の中には「信念」として形成された方がいい。つまり、「ひとまずそういうことにしている」のではなく「本気でそう思っている」方が社会的に面倒が少ない。また、個人も楽しい。何故なら信念には強度がある。だから「個人のレベルでは正しい価値観がある」という幻想が要請される。現代日本においては、システムの中でその幻想は上手く再生産されている。

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2007年08月19日

案外忙しい

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最近忙しくて、とてもとても更新が滞ってしまいました。
なもんで過去日記を埋めて行きます。

一番上の更新履歴という記事を見ると、どういう順番で更新したか分かります。
(つまり、日付順に更新してないってことです。)

これだけじゃなんなので、
「テンプレート変えました」って報告するためにテンプレートを変えてみました。
さっぱりしたのでよろしくお願いします。

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2007年08月15日

靖国参拝

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今日、靖国を参拝してきた。僕が初めて靖国を参拝したのは数年前のことなので、まあ常連でも何でもない。高校時代から思想的な右傾化(もちろん僕は中道化だと思っているのだが)が始まったことを考えれば、数年間東京にいながら靖国に参拝しなかったことになる。

靖国は右にも左にも一つの記号だ。それは政治問題を超えて、個人の内面で葛藤を生じさせる。僕が靖国参拝しなかったのは、僕なんかが行っていいのか分からなかったからだ。僕は靖国に何の思い入れもない。僕の祖先が祀られているかもしれないが、知らない。そのような状況で「行く」という選択をするのは、何か嘘っぽかった。行って何に感謝するのか。何を想うのか。「保守派として行かなくてはならない」という想いはもちろんあった。自分を納得させるために。しかし同時に、「保守派として」という言葉を用いた途端、大切なものが損われた。自分の思想的な立場を自分で守るために参拝するのは嫌だった。

そもそも保守派というのは、靖国参拝について、左・右に関わらず行くのが当たり前と考えている。ここで言う「当たり前」というのは「行くべきだ」という意味ではないが、置いておこう。故に参拝は保守の表明でも何でもない。保守派はこの観点から、靖国に参拝するか/しないかという次元ではなく、政治問題化していること自体に憤る。

ただし、話は逸れるが、靖国問題は既にデッドロックから抜け出していると僕は思う。本来靖国問題というのは、端的に特定アジアと日本のメディアのマッチポンプだったわけだが、2005年くらいから様子が変わってきた。それまで靖国問題は中韓に必要だから起こされていたのが、中韓政府にとっても懸案になってきたのだ。結果、靖国問題は両国政府の外交カードになった。既に「靖国問題は中韓の外交カードである」という認識は古い。日本と中韓政府は、恐らく安倍政権発足時に、何らかの合意(靖国問題という外交カードを同時に捨てる)に達している。

日中韓の共通敵は、自国のメディアだ。しかしその中でも日本のメディア。中韓大好きだった日本のメディアは、愛した中韓政府によって既に軽蔑され、捨てられた(今後も他の場面では利用されるだろうが)。安倍が「靖国に参拝(献花でも玉串でも何でもいい)するかどうかいわない」と言ったとき、日本では右からも左からも批判が起こる。何で?左の人が本気で怒るのは理解できない。アジアに配慮?安倍のこの態度は中韓との合意の上だよ。そんなの当たり前だろ。右の人が怒るのはまだ理解できるが、靖国に関しては小泉の行動こそが安倍の思想だ。って保守派なら分かるだろ。「小泉は参拝するのに安倍はへたれ」的感想が2chを覆っているが、ずれまくり。安倍は中韓に配慮しているのではない。メディアの力を排除しようとしているのだ。ネタとベタを使い分ける。日本国民が安倍の思想を知っている限りにおいて、我慢していると知っている限りにおいて、有効なバーターを引き出せるなら、参拝しないことも許容しよう。ただし、保守派として、最初から靖国参拝に反対する人間は信用できない。

安倍の対応は日中韓にwin-winゲームを構築している。態度の曖昧さはメディアを無化する。安倍が戦っている相手は中韓ではない。靖国問題の最大の戦犯であり、最もアジアの安定を拒んでいる日本のメディアだ。しかしそれに日本国民が気付かないので、日本の1人負け状態になっている。まあ、それでいいや。安倍は歴任中はバッシングを受けてもいいという結論に達したように見える。自民の膿を出して、重要法案を通して、下らないことでバッシングされて消えればいい。数十年後に評価されればいい。

閑話休題。というか逸れた内容の方が多い気もするが、最近靖国に行けるようになったという話。80年代のメンタリティは厄介だけど、参拝して参拝した自分への満足みたいなのが生まれるのも避けられないけど、変な義務感も生じてきたけど、まあ、それでいいや。

中途半端だけどこの辺で。

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2007年08月14日

80年代のメンタリティ2

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前回から続くこの文章を書こうと思ったのは、とある小説を読んだからだ。『1000の小説とバックベアード』。第20回三島由紀夫賞を獲った作品だ。

ストーリーの概略はこんな感じ。新潮社のサイトから。
僕は「片説家」。「小説」と違って、個人のリクエストで、その人のためだけに物語を書くのが仕事だ。いや「片説家」だった。昨日、解雇されたのだ。途方に暮れる僕の前に、自分のために「小説」を書いて欲しいという女性が現れた。しかも、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕がいた会社が、片説を渡した相手だという。

西川美和の『ゆれる』という傑作(映画で観たが)を抑えて三島賞を獲っただけでなく、小説の中で小説について考えるというメタ的な構図に興味を引かれて手に取った。近頃僕は、そういうものが読みたい気分だったのだ。他の人間が、空中から自分を見ている様子を見てみたい。

しかし、読み出して困惑した。この物語・文章が受け入れられる理由が分からなかった。いや、三島由紀夫賞を選ぶ連中が受け入れたとしても、僕は受け入れられなかった。思えば本屋で平積みされている表紙を見た段階で臭かった。こんなに読みにくい小説も珍しい。80年生まれの26歳が書いた小説は、「21世紀型『悩める作家』」と評されていた。読み終わった後、その文句が実に的を射ていると思った。読んでいると鏡で自分の顔を見続けるような吐き気を覚えたからだ。

小説から抜粋。
くさくさしてきたので、わざと暴力をやってみよう。
空のワイン瓶を最大限の力を込めて投げた。
ワイン瓶は壁に激突して中途半端に割れた。

家族、宗教、人生、仕事、社会、恋愛、戦争…そうしたものに興味はないし、小説の題材にしたいとも思わない。書店に並んだり文芸誌に掲載される本物の小説家たちのように、わけのわからない創作衝動に駆られたり、書かずにはいられない精神状態に陥ったり、心の叫びが爆砕寸前になったり、書かなければ死にそうになったり、なぜか書かずにはいられなくなったり、書くつもりはないのになんとなく書いてしまったり、書けないことを知っているのにそれでも書いてしまったりはしない。

書きたいことがない。

綺麗なものだけを見ていたいから、自分を穢した。
綺麗なものに到達するために、茨の道を選択した。
綺麗なものがほしいから、悪と悪と悪に染まった。
ずるい。
そんな簡単に幸福にさせないぞ。

人間は年齢を重ねるたびに完成されていきますが、私はそうした人生に、なんの興味もありません。どんどん逆行したいのです。純粋な間違いをおかしたいのです。私は私の間違った思想を信仰し、その結果として失踪しました。

やがて模倣をするようになり、さらに模倣自体を楽しむようになり、最終的には他人の物語によって自分自身を語るようになり、嫌っていた評論家連中と同じ種族になっていると自己嫌悪になりながらも仕事を続けているうちに、本当に自分自身を語っているのか自信が持てなくなってしまい、

人間は、自分に才能がないことにかならず気づく。自分が天才じゃないことにかならず気づく。でもそのときに屈服するな。あきらめるな。逃げるな。つらくても可能性がゼロでもふんばれ。笑うやつがいても無視しろ。なぜならそいつも才能がないからだ。

…うそ臭い。そう思っているのに合わせようとするから、だめになる。演技が入る。教科書の受け売りになる。真剣にやれなくなる。白ける。遊びが入る。格好をつける。疑わしくなる。にせの告白をする。虚栄を張る。魂が入らなくなる。自分の文章を馬鹿にする。自分の思想を馬鹿にする。心の味を、死の味を、そんなことで書けるはずがない。

最後の引用なんて80年代性そのものだ。自分のことを馬鹿にしながら、自分のことを語る。他の引用もそうだ。こういった内容そのもの以上に、実際に文として書いてしまうということの「異常さ」がある。やる前に定型を並べ立て、そのどれでもないことに安心して落胆し、自分がそのどれかに嵌れば「客観視」が首をもたげて熱を奪う。自分は定型を消費したいだけじゃないか?一度始まった疑問は無限に後退し、終わらない。

『1000の小説とバックベアード』では石川啄木の『弓町より(食ふべき詞)』が引用されている。
自分でその頃の詩作上の態度を振り返ってみて、一つ言いたい事がある。それは、実感を詞に歌うまでには、随分煩瑣な手続きを要したという事である。たとえば、ちょっとした空地に高さ一丈位の木が立っていて、それに日が当っているのを見てある感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁いある人にした上でなければ、その感じが当時の詩の調子に合わず、また自分でも満足することが出来なかった。

この感覚が、詩人でも小説家でもない多くの人間に共有されるのが80年代だと思う。現実生活において、常にこのような感覚が持ち上がる。曝されやすい分、慣れるけど。

片説家を否定しながら片説を書き、小説を懐疑しながら小説を書く。問題は、対象となる世界や方法論にあるんじゃなくて、当然、自分にある。どうにかなるのか。

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2007年08月13日

80年代のメンタリティ1

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80年代のメンタリティというのが存在する。といっても他の80年代生まれに共感されるかどうか分からないのだけれど、僕がこれだけ感じているのだから、他の人も感じていないはずがない、なんて思えてしまうんだからしょうがない。

それを一番上手く表しているのが今まで何度も紹介しているRADWIMPSというバンド(の楽曲の歌詞)なのだ。小説にせよ、映画にせよ演劇にせよ、キャラクターの造形に共感することはあるけれど、RADのボーカルである野田洋次郎の思想に僕は共感しない。共感ではなく、僕はそれを知っている。僕を説明しているように感じてしまう。

「セツナレンサ」から歌詞を抜粋。ちなみに野田は全楽曲の作詞・作曲を担当している。84年生まれの22歳だ。
楽しくないのに僕たちは 心に黙って笑えるから
悲しくないのに僕たちは どこからか涙流せるから

昨日守ってたナニカをね 明日は壊してしまうけど
昨日交わした約束もね 明日は破ってしまうけど

今の僕は ここにいるよ 大事な人もいるんだよ
守っている約束もね 今は 今は 今は あるよ

優しくないけど僕たちは 誰かを守ってみたいんだ
寂しくないけど僕たちは 誰かと笑っていたいんだ

虚しくないのに僕たちは まん丸い月を見上げるのは
誰かに僕を見ていてほしい 嘘つきな僕を見ていてほしい

切なくないのに僕たちは 悲しい歌聴きたくなるのは
誰かに僕が似ていてほしい 嘘つきな僕に似ていてほしい から

80年代生まれは90年代に思春期を体験している。既にバブルは弾け(経済的には「失われた10年」)、酒鬼薔薇とオウムと阪神大震災が 当たり前のものとしてそこにあり、エヴァと援助交際と9.11が並列していた。けれど僕はカタストロフィックに事態を捉えることはしなかったし、思春期にありがちな通り、物語に人格形成の影響を受け(もちろんエヴァだ)、人間(=自分)不信ぶって、「でも結局人は繋がらなきゃね、痛いけど」的結論を出して満足していたのだ。

けれど、恐らく周囲の状況は分析も言語化も出来ないやり方で僕に色を塗っていった。「時代の閉塞感」なんて僕は感じなかったけれど、オウム的なものも酒鬼薔薇的なものも、理解不可能なものではなくて理解可能なものに近かった。というより、ありうる事態として学習した。エヴァは聖書だったし。そういった暗さ(便利な言葉!)は否応なく入り込んでいて、今になって僕はそれを指摘できると同時に、異常事態を食べて自分の血肉に出来てしまったことに驚く。

80年代以降の情報化社会は、オリジナルの前にイメージが先行する状況を作り出したが、90年代以降、オリジナルという概念自体が消える状況が現出してきた。自分が「オリジナルだと信じれない」という感覚だ。これは個性とは別次元の話で、情報網の整備によって皮肉にも画一化された情報がもたらす、思考パターンの画一化だ。

僕は、80年代は、異常性も、特異性も、オリジナリティーも信じない。コピーと代替可能性がそれに先行する。と、経験で知っている。全ての出来事は、起きた瞬間、典型・定型になる。日常に埋もれるということではない。日常だということだ。抽象的な言い方になってしまったが、現実の生活では次のような不愉快が生まれる。「僕が思いつくことは/することは、誰でも思いつく/する」「僕は僕の感情を信じれない」という感覚だ。(言うまでもないが、「ゲーム4」で書いたような「権力による自発性の演出」とは別のレベルの話。)「そのもの」ではなく、「そのものっぽいもの」として「そのもの」を見てしまう。例えば僕が誰かに振られたとして、僕は「誰かが誰かに振られる」という定型を先行させ、それに僕を当てはめる。現実が、イメージの代入物になる。

自分の嘘っぽさ。何をしても先行イメージの消費に陥る。本気になれないんじゃなくて、本気を信じられない。だから、楽しくないのに笑って、悲しくないのにまん丸い月を見上げることしか出来ない。悲しくないのに泣いて、切なくないのに悲しい歌を聞きたくなる。「定型の外側に出られない」と言いながら、定型に憧れ、自分から縛られることを望む。イメージを逃れられないという強迫観念が、自らをイメージに嵌め込む。嫌なのに、嫌だから嵌ってしまう。ある意味では自分を客観視し過ぎるわけだが、客観視というよりは「乖離」という言葉が近い気がする。

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2007年08月12日

ゲーム4

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今の君にはゴールが見えない。

君の直観は正しい。君は十分ゲームに精通してきた。24年。如何にこのゲームがマジョリティの信じる「ルール」とは無縁に動いているか知っただろう。暴力を一部の人間は振るうことが出来、罰されないことを知った。暴力と経済力・信頼は互換性があることを知った。道徳により莫大な資産を築くプレイヤーがいることを知った。経済力と信頼は互換性があることを知った。自分が望んでいた多くのものが、一部のプレイヤーに望まされていることを知った。君が見つけるものは用意されているものだと知った。上級者は顔を出さずに「ルール」の外側で戦っていることを知った。プレイヤーの公正さ、自由、反暴力の思想こそが、上級者のゲーム進行を最も強化していることを知った。そして何より、多くのプレイヤーがそのことに無関心にゲームを行っていることを知った。

君の直観は正しい。君は今危険な場所にいる。そこより先に進むと、君は自分を、僕を呪うことになるだろう。いや、今でさえ、僕を憎んでいるんだね。知らなければ幸せでいられたのに。知らなければ、自分で選択していると思えていたのに。ゲームの構造は不透明だ。知識と論理を持つ人間だけがそこを覗きこめる。けれどそこにあるものは、闇だ。想像を絶するゲームがそこでは行われている。志を持った人間ほど、その事態に気付き、構造の強固さに愕然とするだろう。

君はそこに至り、あまりの暗さと、自らの圧倒的無力に絶望する。自らの身体・金・信頼リソース程度では構造は変えられない。他の人間に伝えようにも情報は統制されていて、逆に自分が嘘をついているように見られる。真の上級者が誰かも分からない。そして君は心を折られる。

それがゲーム上級者により最後に張られた罠なんだ。精神的な去勢。実に良く出来たゲームだよ。構造に気付かない人間は、上級者の与えた枠組みの中で自発的に、喜んで生きる。でもね、それはそれでいいんだ。軽蔑してるんじゃない。ただ事実として、間接的に上級者を利している。そして気付いた人間は、気付いたことで心を折られる。心を折られた人間は、二度と立ち上がれない。何故なら、無理矢理押し留められたのではなくて、状況を知って自ら絶望したからだ。自発的に矛を収めたからだ。


話は終わりだ。何でこんな話をするのかって?君は僕に似ていたからだよ。僕の二の舞になってほしくないからだよ。今の僕にはゴールが見えない。僕はもう、心を折られてしまったんだ。コントローラーが自分の手にあると信じれなくなってしまった。最早自発性を信じれないんだ。しかしこのままでは、数年後の君もそうなる。ゴールを本当に見失う。君はどうすればいいのか?構造から目を背けてはダメだ。君は既に踏み出し、もう戻れないんだ。君は構造を見据えながら、それでも絶望しないという道を選ばなくちゃならない。それは本当に困難だ。知るほどに、心に血の黒い染みが拡がっていく。けれどそれを抱え込んだまま、ゲームを続けるんだ。公正さ、自由、反暴力、相手に用意されたツールを利用して自分と大切なものを守るんだ。そして時には不公正と無秩序と暴力を使う勇気を、道徳との決別を、経済力と信頼を暴力に変える不誠実を受け入れるんだ。たった一つを守るために。何が大切なものかを忘れなければ、僕はそれを肯定するよ。

ちくしょう悲しい。辛い。無念だよ。でも、もう立ち上がれない。あまりに無防備に近付きすぎた。君は慎重に近付くんだ。そして忘れるな、君が最後まで持つリソースを。それは身体でも金でも信頼でもない、君の意思だよ。僕はもうゲームをおりる。君に全部伝えたからね。だから君はその意思で僕を殺すんだ。弱虫な僕を。心折れた僕を。そして僕は君でやり直そう。

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2007年08月11日

ゲーム3-2

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ゲームの初級者は相手の思考を読み、事態を解析する。ゲームの中級者は初級者が解析したくなる事態を自分で作り出し、相手に思考させる。では、ゲームの上級者は?

例えば、君がAで、君から見た状況がB・Cが○、D・Eが×の時、君はどうしたらいい?これこそどうにもならない状況だと思うかい?

ゲームの初級者は、自分以外の誰かが手を挙げて正解を答えたら、その逆を答えればいいと気付くだろう。説明は省くよ。ゲームの中級者も、この場合同じように動く。けれど、上級者は違う。誰も手を挙げていない状況で自分が○だと言うことが出来るんだ。何故かって?最初から自分に配られた紙の記号を知っているからだよ。上級者は、最初に頭に紙を掲げる前に、自分の紙を盗み見ている。

しかし、その上で、手を挙げないんだよ。この状況で自分が何か一番最初に分かるのは不自然だからね。状況を変えて、もし君=A以外の誰か、例えばBだけが○で、君も含めて他の全員が×だとしよう。その状況でBが手を挙げなければ、Bは誰かを嵌めようとしているわけだ。中級者の論理でね。それを上級者のAは知りつつ悩む振りをする。失格者を待つ。

そんなのは卑怯だ?そうだ、卑怯だ。しかし上級者は、公正を望む心を食い物にするんだ。君が公正を望むこと自体、上級者が設定した感情なんだ。出会った時に言ったよね。「ルール」設定者は道徳を占有しているって。「ルール」の中で戦おうとする公正さこそが、上級者の望んだ事態なんだ。不公正は暴かれる?本気でそう思うのかい?情報を握っているのは上級者なんだよ?

ただね、不正をするのが上級者だと言いたい訳じゃない。例えば他のやり方として、ゲームの主催者と関係を作り、予め答えを教えてもらう方法がある。これは不正じゃない。何故なら、ゲームの答えを聞いてはいけないという「ルール」はないからだ。まあ、そのような「ルール」があっても上級者はやるだろうけど。大事なのは、「ルール」の外側で既にゲームは終わっているということなんだ。初級者や中級者は、原理的に上級者に勝つことは出来ない。カジノでカジノを破産させられないようにね。

ゲームを上手くやる人間は、人の感情を操作する。都合のいい情報を流し、適度な謎を作る。他の人間にその謎を解かして、満足させてやる。上級者への不満・不安もきちんと持たせてやる。人は、不満を口にするだけでも満足できるんだ。「不満があるけど言いたい事は言える」という満足だ。言いたい事を言える自由や、感情を表現できる自由は、上級者が用意した、不満を発散させる装置なんだよ。けれど上級者は暴力の自由だけは許可しないような「ルール」を作る。そして、ダメ押しに「暴力はいけないことだ」という道徳を作る。命を賭けた暴力は物理的に防ぎようがないから、心理的に防ぐしかないんだ。

公正さと自由を与えること、それらを向こうから望ませること、それこそが上級者のゲームのやり方なんだ。そもそも、どうして明文化した「ルール」に違反したら、罰を受けなきゃいけないんだ?そんなの自明じゃないんだよ。でも「ルール」に束縛されている側が、それが当たり前だと思っているんだ。もちろん上級者は始めから「ルール」の外側にいる。

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2007年08月10日

ゲーム3-1

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こんなゲームを想像してみよう。5人の人間がいて、5枚の紙がある。1人1枚ずつ紙を受け取り、その紙を自分は見ずに、他の人には見えるように頭の上に掲げる。各紙には○か×が書かれているが、5枚全部が○もしくは×ということはない。自分の紙に書かれているのが○か×か分かったら、手を挙げて答える。正解なら次のゲームに進める。最後まで当てられなかった人間、もしくは答えを間違った人間が1人失格となる。

5人をA、B、C、D、Eとしよう。君はAだ。君から他の人が掲げた紙を見たらBが×、C・D・Eが○だった。ゲームが始まってもすぐに手を挙げる人はいない。さて、君はどうすべきだろうか?

これは、ゲームの構造を考える上で、とてもいい問題なんだ。ゲームの「ルール」をどこまで理解しているかのいいテストにもなる。


解説をしよう。君ならどうする?「手を挙げて『×』と答える」?でもそれじゃあゲームの初級者なんだ。もちろん、「他の4人全員が○ならAは×だと分かるけど、一人でも×が混じっていたら自分が何かは分からない」なんて言う真の初級者に比べたら、遥かにマシな初級者だけどね。君はこう考えた。誰も手を挙げないということは、誰から見ても「他の4人が同一の記号」であることはないということだ。つまり、×のBから見ても、全員が○ということはない。だから、自分は×なんだ、と。

その考え方は正しい。しかしゲームの中級者は罠を張る。よく考えて欲しい。君が本当は○だったとしよう。つまりBから見たら自分以外の全員が○だ。Bは×に決まっている。その時Bは手を挙げるだろうか?僕がBなら挙げないよ。何故かって?君を失格にさせるためだよ。いいかい、ゲームはこれで終わりじゃないんだ。次のゲームがあるんだよ。Bの立場は圧倒的に優位なんだ。手を挙げて「×」と答えれれば勝ち抜け出来る。けれど、その後どうなる?結局最後まで答えられずに残るのは愚鈍な人間だよ。それじゃ折角Bが優位である旨味がない。だからBは罠を張る。この罠には、賢い人間が率先してかかる。B以外の全員が○という状況で、Bが手を挙げなければ、君がしたような思考プロセスで、誰かが「私は『×』だ」と答える。これで1人を失格に出来る。その1人は愚鈍じゃない、B以外の4人の中で、恐らく最も頭の回転が早い人間だ。これこそが「優位」の使い方なんだ。

賢い人間は、論理と推察で隠れた状況を暴くことができる。そうして見つけたものは、自分では疑えないんだ。隠されていた真実は、正しい。正しいから魅力的だ。魅力的だから疑えない。そう、自分で見つけた「ルール」は疑えない。自己否定に繋がるからね。中級者はそこを突く。そこに罠を張る。何もない場所にわざと隠れた状況を作り、他の人間に「気付かせて」やるんだ。これが相手の思考を操作するってことだ。知的優越をこちらから用意して、相手の自尊感情を利用する。

もちろん、Bがここまで考えるという保証はない。本当にAは×で、Bには判断がつかないのかもしれない。けれど、Bが罠を張っている可能性があるということを考えた上でAは判断しなければならない。Aの最善手は、他の人間が1人答えるのを待つことだ。Aが○なら、A・B以外の人間からは○2つ・×2つが見えるから、身動きがなかなか出来ない。つまり、誰も答えなければ、Bがどういう思惑をしていようが、Aは○の可能性が高い。全員が賢いという状況は考えにくいからね。けれど、Aが×なら、B以外の全員がAと対等の立場にいる。そうであるなら、しばらく経たないうちに誰かが状況に「気付いて」、君が答えたようにね、「私は『×』だ」と答える。それで失格にさせればいい。何にせよ、一番最初に「私は『×』だ」と答えてはダメなんだ。ここまで思考が至り、中級者になれる。中級者は、分かっているのに分からない振りをするプレイヤーと、分かっていないのに分かっている振りをするプレイヤーまで考慮する。

ゲームの重層性は、「振り」と「演技」から生まれるんだ。

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2007年08月09日

ゲーム2

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やあ、また会ったね、覚えているかい。忘れるわけないって?嬉しいよ。でも君は落ち込んでいるみたいだね。どうしたんだい?…へえ、そうなんだ。まあでも、こっちの話をしていいかい?

君がこのゲームを始めてからもう20年が経った。僕らが会ってからはまだ数年だけどね。…長かったろう?でも本当に一瞬だった。光陰矢の如しってヤツだ。ところで、「ゲーム」について、「ルール」について少しは分かったのかい?

ゲームを始めて20年、多くのプレイヤーは最初に道具を磨く。君もそうだったろう?他のプレイヤーから「ルール」を教わり、一先ずそれを正しいことにしてそれに従った。その過程で君は道徳という力を得たんだ。…そうだね、君はきちんと20年分、ゲームについて賢くなった。人が言う「ルール」を信じなくても、従ってしまえばその「ルール」を認めたことになるんだ。今の君はそれを知っている。「ルール」は自己再生産する。メタ・ルール。久しぶりに聞くだろ?

そして君は大きくなった。ただ、身体は成長したけれど、君は道徳の中で学んでしまっただろう。暴力は実際の力としては使えないということを。暴力の行使により損われる信頼は大きすぎるからね。だから身体を労働により経済力や信頼に転嫁する。身体、金、信頼の互換性も学んだよね?まあこれは、ゲームの初歩も初歩だけど。全ては、比較だ。信頼を失うのを恐れないのであれば、暴力は確信的に振るわれうる。そういう人を見もしただろう?そして君は軽蔑しただろう?そんな風に人から信頼されなくなるのは嫌だろう?だから、君は暴力を振るわない。

…当たり前だ?違うよ。暴力を振るわないことは自明じゃない。君は暴力を振るわないことを自分で選択していると思っているだろう?君は暴力を振るえないんだ。暴力だけじゃない。他の多くの道徳に反することを出来ない。それで満足だ?まあ、意固地にならずに聞きなよ。新しいメタ・ルールを教えてやるからさ。いいかい、「ルール」ってのは毒を持ってるんだ。それはね、習慣化から来る愛情だよ。多くのルールに君は反発しながら、疑いながら、従う振りをしてきたんだ。信頼という力のためにね。それを君は自覚していた。にも拘らず「ルール」ってヤツを、君は愛してしまっただろう?いつの間にかその「ルール」が当たり前になり、愛着さえわいたんだ。というより本当は、暴力と道徳を比較する時点で、君はもうメタ・ルールに乗っかっているんだが、そこまで話を戻しても仕方がないか。乗っからざるを得ないからこそメタ・ルールなのだしね。

話を戻そう。「ルール」とずっと一緒にいたら、いざという時にそれに逆らえないんだよ。「ルール」は長い時間をかけて、従う振りをする者の心にも入り込む。これは抗えない。ということは…そう、メタ・ルール。で、「ルール」設定者は、それを前提として「ルール」を作っているわけだ。でもこれは悪いことばっかりじゃないんだよ。

君は人を愛したことがあるかい?何のために?落ち込んでいる君は何をしてあげられた?君がその人の為に出来たことは色々あっただろう。でも大切なことはね、「ルール」の刷り込みなんだ。二人が最終的に離れ離れになったことは結果だよ。そうじゃない、何を残せるかなんだ。「最後まで君の傍に立つ人間がいる」という「ルール」を如何に刷り込めるか。君がいなくなった後に、君がその腕で抱きしめられなくなった時に、君がその手で彼女の涙を拭えなくなった時に、その「ルール」が彼女のゲームを包むように。彼女が自分で涙を拭う時、重なるように思い出すように。もう何もしてやれない時に匂うように。「ルール」は行動レベルで人を束縛するが、長年の「ルール」との共存は感情レベルで人を束縛する。 …もう言わなくても分かるね?

20年間の蓄積。君は経済力も得たよね。もしくはその可能性を得たはずだ。もう十分「ルール」を設定できる。それは個人的な領域かもしれないけど、相手のゲームに関わるに十分な大きさになったんだよ。君が抱きしめるのは、相手の未来なんだ。未来の記憶なんだ。少し説教臭くなっちゃったけど、大切なのは「ルール」の反復だよ。習慣化したら、もう人を信じるしかないんだ。

君と再会するのは何年後かな。これから色んな世界を知るだろう。次に君がぶつかりそうな壁は、「ゴール」設定かな。

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2007年08月08日

ゲーム1

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ゲームを始めよう。「ルール」は分かっているね?何、分からない?そうだね、そのような台詞が出る時点で君は分かっていない。「『ルール』を分かっている振りをすること」が「ルール」の一つなのだよ。このア・プリオリなメタ・ルールに気付いていないことは許されない。誰も教えなくても知っていなくてはならない。知らないのなら君の落ち度だよ。

本当はいけないことだけど、哀れな君のためにヒントをあげよう。君は今からあるゲームに参加する。文字通り命を賭けたゲームだ。そこで君はある目標、ゴールに向かうことになる。勝利して得られるものは「満足」だ。「ルール」は明文化されたものとされていないものがある。明文化されたものに違反すると君は罰を受ける。罰には身体の拘束と金銭の没収がある。明文化されていないものに違反すると君は信頼を損う。そう、君がやり取りするものは、君の身体、金、信頼だ。しかしその「ルール」が分からない?…君は本当に何も分かっていないんだな。厳密に言えば「ルール」は誰からも教えてもらえない。ゲームの中で自分で類推するしかないんだよ。おっと、人が言う「ルール」を何も疑わずに信じるなよ。「ルール」は信頼と交換できる。これもメタ・ルールの一つだ。「ルール」はマジョリティが「ルール」と考えるものだ。これもメタ・ルールなんだ。

ゲームに勝つには、如何に自分に有利なルール設定をするかが重要になる。ではここで今までのことを理解しているか問題を出すよ。マイノリティで勝者になりたければ、どうしたらいいか分かるかい? ………。君が使えるものは身体、金、信頼しかない。「ルール」は信頼と交換できるように、身体や金とも互換性がある。暴力と経済力、そして道徳こそがルール設定の力となるんだ。マイノリティは君が想像する以上に、実はルール設定において不利じゃないんだよ。マジョリティが考えているものが「ルール」だけれど、「ルール」を作るのは決してマジョリティじゃないんだよ。暴力と、経済力と、道徳を占有する人間なんだ。そして、それらを持っている「振り」をするだけでもなかなかの力になるんだよ。もちろん、「持っていない振り」もね。

教えてくれてありがとう?う〜ん、結局のところ、君は何もわかっていないような気がするな。僕が本当のことを言うはずないじゃないか。僕もゲームのプレイヤーなんだよ。僕は僕に都合の良いことを言うんだ。僕の道徳的な気持ちよさも含めてね。君もこのゲームで本当のことを言う必要はない。暴力、経済力、道徳、そのどれよりも人を容易に動かすのが情報なんだ。むしろ前3者は情報を作るために用いる手段でしかない。自分に都合の良いルール設定のためなら、情報を操作していい。分かるかい?他の人間がその「ルール」を望むように仕向けるということだよ。ただ、勘違いして欲しくないが、利己的になれと言ってるんじゃないよ。それは最終的な目標である「満足」を遠ざけることになるかもしれないからね。自己犠牲のないところに「満足」はないよ。

さあ、ゲームを始めよう。…え、嘘を付くな?…そうだよ、ようやく分かってきたみたいだね。君は最初からゲームの内側にいるんだ。言い直すよ。ゲームを再開しよう。

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2007年08月06日

反復

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昨日に夢を託せば後悔で 明日に夢を託せば希望で
でも今日の僕に夢を託して何になるの? だから
うずくまって 閉じこもって 明日を待っていたんだよ
だけどなんで 明日になってみれば今日がまた始まるの?
―――RADWIMPS「夢番地」

・反復における小さな差異を取り出して、虫眼鏡で覗けばいい。そこにどんな意味だって見つけられる。どんなに平均的な日々だって、自然発生的なフラクチュエーションがあるだろう。…って本当か?「あなた次第」で生活は生き生きと?明日はどんな意味を見つけようか?

・反復は多くの場合、自己目的化する。しかも、当初の目的が忘れ去られないまま、自己目的化する。反復は調和であり安心だから。時間を埋めるから、無時間性だってもたらしちゃう。ルーチンはルーチンであることだけで価値がある。差異なんて必要ないよ。

・自己目的化した反復は多くの場合、麻薬的陶酔を生む。メタ的に、自覚的に、陶酔の為に反復する。自己目的化が目的化され、無目的性と非合理さが高揚を齎す。

・現代芸術が反復なり、消費なりをコンセプトとするなら、現代社会で反復・消費されるものは何だ?オリジナルか?それとも「オリジナルに先行するコピー」か?だとすれば、「オリジナルの存在しないコピー」でもいいだろう?

・オリジナルと一回性にさよならを。コピーと反復に強度を。
空虚で美しい、形式的な身体性を。磨耗と摩擦熱を。反復するボレロを反復するように。

・ほら、なんか満ちてきた。

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2007年08月03日

時をかける代償

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タイム・リープもので大人を納得させることが出来るテーゼは決まっている。「運命は変えられない」ということ、「現実は現在で変えるしかない」ということ。

過去に戻って現在の不満を解消できるように操作したとする。教訓的な物語では、二つのパターンを採用する。一つは、タイムパラドックスによりそもそも過去を変えられないというケース。もう一つは、過去は変わるが、めぐり巡って現在は変わらない、もしくは他の予期しない不幸が現れるというケース。

二つ目のケースは、より大人向けだ。自分が幸せになる変わりに他者が不幸になったり、何かを救う代わりに他の何かを犠牲にするという状況は、タイムリープ出来るが故の苦悩を生む。現実に追随しない能力を持った人間だけの、「選択できる」という苦悩だ。ここにはドラマがある。

現在にある「悲しさ」を除去しようとしたのに、「悲しさ」以外のものも除去されてしまうジレンマ。(例えば、僕が医者になる前に数年置くという選択を否定すれば、卒業後に出会った人間との出会いを否定することになるだろう。)都合よく自分にとって要らないものだけを否定することは出来ない。

そう、タイム・リープは皮肉にも、否定しようとした現在の大切さを痛感させる。そこから主人公が進む道は3つある。それでも現在を否定するか、現在を仕方のないものとして受け入れるか、現在において現実を変えようとするかだ。そして嬉しいことに、3つ目の選択は、タイム・リープが出来ない人間にも出来る。この場合タイム・リープは、物理的世界ではなく主人公の精神を変革させるための手段と位置づけられる。

そんな教訓的な一般論を地で行ったのが、最近までフジでやってたドラマ『プロポーズ大作戦』だろう。主人公は愛する人の結婚を止めるため、何度も過去に戻り彼女をゲットしようとするのだが、その過程で「現在を否定することの傲慢」に気付く。大切な人たちの大切な感情を操作することの罪悪、起こってきた出来事への不敬に気付く。主人公は最後に「現実は現在で変える」という選択をする。宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』もそうだ。自分にとって都合の悪いものだけを除去することなんて許されない。運命を変える旅の果ては、不都合・不条理な現実を受け入れるという成長だった。


しかし「どうしても受け入れられない現実」というものが存在する。それは「(突然の、不条理な)死」だ。選択できてしまう権利を持ったタイム・リープ者は、「現実は現在で変える」などと最早言えない。やり直し不可能な事態、しかしそれを変えると先のルールで他の誰かが大きな不幸になってしまう。僕が傑作だと思うアニメ版の『時をかける少女』や『バタフライ・エフェクト』は、それに対して明確な答えを出す。自分にとって大切なものを守るためには、誰かが不幸になるしかないという「不幸の転嫁システム」の中で、転嫁先を自分にするという選択だ。

自分以外誰も不幸にならないという形で物語を決着させる。その場合、如何なる不幸が「死」に相当するのか?もう二度と会えないという形の別れだ。大切なものを守るためには、自ら大切なものを捨てるしかない。象徴的に殺すしかない。相手を、つまり自分を。楽しかった日々は消え、もう会えない相手に「また会おう」と言う。徹底した現実の否定が、徹底した現実の肯定になる。「自分で捨てた」という記憶が、捨てたもののあまりに大きな価値を語る。僕は涙する。

つまり、『時をかける少女』『バタフライ・エフェクト』は心から素晴らしい。

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2007年07月23日

振る舞いとしての「神聖さ」

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(07/07/22)「芸術と恋愛」の続き。

「この人しかいない、代わりはいない」と思っている振りをしてる自分に気付く。しかしそれは、神聖さを信じているからこその苦悩だ。気付いて悩んでいる時点で、恋愛は神聖だと思っているのだ。

人を好きになるのに理由はいらないけど、付き合うことには理由がいる。自分にとっての付き合うことの定義や目的が何なのかが大切で、その目的というのは、完全に個人的なものなのだ。どんな理由だっていい。「一緒にいたら怠けられる」っていうでもいい。「この人は自分を好いてくれているから」ってのでもいい。「私を大切にしてくれるなら誰でもいい」ってのは、非難されるべきスタンスじゃないし、お互いが幸せに慣れるなら何の問題もない。一つ前の日記とは矛盾するように見えるが、神聖さを自己目的化させても仕方がないのだ。

今後の別れを想像しつつ、「ずっと一緒にいよう」と言う。それでいい。もしダメだとしたら、それはそのような態度への懐疑が二人の時間を楽しくないものにしてしまう場合だ。「神聖さ」を保ち続ける強制なんてどこからもない。

神聖性には二段階ある。一つ目は代替不可能性を心から信じている段階。二つ目は、代替可能だと気付いてしまった上で、代替不可能だということにして、そう振舞う段階。信じている振りをする段階。上記の例はこちらに当たるだろう。僕は二つ目にも十分価値があると思うし、人としての愛しさを感じる。いや、神聖さの本質とはこのような「愛すべき嘘」に対する振る舞いの方に宿るのではないかとすら思う。

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2007年07月22日

芸術と恋愛

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ハンス・アビングの『金と芸術』が面白い。原題は『Why are artists poor?』。内容の説明に代えて各章の副題を挙げてみる。

 ・誰が芸術を定義する権力を持っているのだろうか?
 ・マーケットでの収入が見込めないとはいえ、
  なぜ芸術への贈与は賞賛されるのだろうか?
 ・質に対する金銭的報酬はあるのだろうか?
 ・アーティストは報酬を志向するのだろうか?
 ・アーティストは誤った情報を与えられたギャンブラーに
  過ぎないのだろうか?
 ・助成金や寄付は貧困を増大させるのだろうか?
 ・芸術のコストが増大するために助成が必要なのだろうか?
 ・芸術と国家の関係はどれほど相互依存的なのだろうか?
 ・芸術はどれくらい自由なのだろうか、
  あるいはどれくらい独占されているのだろうか?
 ・芸術という例外的経済はなぜ続いているのだろうか?


まだ読んでる途中なので、これらの疑問への答えは置いておいて、今ぼんやりと感じるのは、(本書では触れられていないが)芸術と恋愛における相同性だ。仮説。「恋愛とは特定の人間を芸術化するプロセスである。


アーティストが、他のどの職業とも区別されるのは、いや、どの職業より尊敬を集めることが出来るのは、アーティストは代替不可能であるという神話が機能しているからだ。どんな大企業の社長も彼が死んだら誰かが取って代わるだろうが、アーティストが死んだら二度と彼の作品は生まれないと信じられている。

この点で恋愛とは、アーティストでもなんでもない「あの人」を芸術化するプロセスだ。世界には「あの人」より容姿の良い人も、優しい人もいるだろう。より女性っぽい人も、より妖艶な人もいるだろう。にも関わらず、あの人は「かけがえがない」。代替不可能なのだ。他者に共感されないあの人の代替不可能性、私的な芸術があの人の中に立ち現れる。

このように言うと芸術と宗教の類似性、つまり「神聖化プロセス」を思い起こすかもしれない。それは正しい。代替不可能性、彼女の「比類なき個性」(同時に比較不可能性)は神聖化と似ていて、芸術・宗教・恋愛に共通する同化欲求が存在する。(その同化欲求はこちら側の個性を短期的に減弱させるが、長期的に増強させるだろう。)そして、ハンス・アビングの言を借りるなら、芸術は(恋愛は)、現実に対し実現可能性を横に置いた「ロマンチックな対案」を提示する

そして経済的側面から見ても芸術と恋愛は相同性がある。それはつまり、「経済的なダブルスタンダード」だ。貧乏なカップルも、貧乏な芸術家も、「お金じゃない」と言うだろう。それだけじゃなく、金銭的価値から離れた部分に自分が存在することへの自負と満足すら生まれうる。つまり、自分の行動が経済的インセンティブに基づかないことへの自尊心が存在する。それは同時に、次の事態を生むだろう。お金があって、それを相手の為に使う(与える)場合も、バーター(取引)ではなく善意からの贈与だと思いたがる。贈与は他の美徳(自己犠牲、非金銭的価値の尊敬…)と一体になり、神聖化を保続させる。

この流れで、経済的側面で恋愛における相手を判断することは、社会的に非難される。もちろん実際には、恋愛を経済的側面で判断することは往々にしてあるのだが、そのことを相手に表明することはない。ここは芸術との相違点で、恋愛は(特に年齢が上がるにつれて)神聖性への懐疑と現実的(経済的)戦略が採用されるようになるのに対し、芸術はいまだに神聖だと本気で信じられており、その上で必要悪としてマーケットでの取引が行われる。この差異は、情報量の違いによる。

あの人のことを思う無私な私」「贈与することであの人の笑顔以外の見返りを求めない私」は、私の信じる私の価値を押し上げる。そして更に、そのような押し上げ自体への懐疑、「私はあの人の為にやっているように見せて、結局のところ私のことしか考えてないんじゃないの?」、それすら芸術と恋愛は共通している。贈与が利己的な動機に基づくことへの嫌悪だ。この嫌悪自体、神聖化が続く限り構造的な必然である。


まとめ:
芸術と恋愛には多くの共通点がある。どちらも神聖でなければならない(制約と呼ぼう)。代替不可能性、比較不可能性、非金銭的価値こそがそれらの価値であり、その価値を疑わせる行動を人は避ける。両者の違いは、恋愛は完全に私的な領域に属すこと、そしてそうであるが故に情報(経験)が多く、制約への懐疑が生まれやすいことである。ただし、制約への懐疑は、神聖性が存在することと矛盾しない。

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2007年07月19日

一般論と個別論

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一般論に対して個別論で反論するのは弱い。
それを聞いても「もちろんそういうこともあるだろう」と思うだけだ。
そんなものは問題にしていない。(ただし別の局面では問題になるだろう。)

政策決定の際に優先すべきは一般論であって、マジョリティだ。
(ただし、回復不可能な損害を被るマイノリティもそれと同様の優先度がある。)
そこで「何が一般論か」についての論争が起こる。
実際には統計が証明してくれることになるのだが、
統計が手に入らない時は、経験から直観的に判断するしかない。
その直観が異なる場合、対立はなかなか埋まらないが、
多くの場合、意見の一致を見るはずだ。何故なら事実認識に過ぎないのだから。

しかし実際には議論がたえない。
一つ目の理由は、それが一般論ではないのを分かりながら
個別論を持ち出し感情的な反発をする人が多いこと。
二つ目の理由は、思想が事実認識すら歪めてしまうからだ。
自分にとって都合良く世界を解釈する。
その意味でフェミニストは女性劣位社会であって欲しいと願う


思想が自己目的化すると、話がつかない。
根っこは皆似たようなものなのに、枝葉で論争する。
「困った人は助けるべき」「男女平等であるべき」
「自由に人生を選択できるべき」など共通の価値観を持っているにも拘らず、
議論が続く。

であるからこそ、議論の目的は相手を圧倒することではなく、
何が共通点なのかを探ることにある。根を共有することにある。

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2007年07月10日

痴漢の撃退法

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痴漢を撃退するにはいくつかの障壁がある。

1.相手が本当に痴漢かどうかの確認
2.周囲に助けを求めても助けてくれるか分からない不安
3.冤罪だったら相手の人生を壊してしまうという不安
4.自分に自信がないことからくる不安。
 ex.「自分に痴漢なんかする人いないだろ」と思えてしまう。
   声を上げても「お前なんか触るかよ」って言われたらどうしよう。


痴漢を物理的な力で捻じ伏せられることは困難だし、
他の何らかの方法で相手を追い詰められるとしても(例えば携帯で顔の写真を撮るとか)、
冤罪可能性や痴漢じゃなかった時の尊厳の問題がある。


これを解決しよう。
1と3は相互依存しているので、場合に分けて考えてみた。

@痴漢かなと思われる人(冤罪可能性のある人)を退ける場合
→「手が当たってます」とか物理的な現象に対する言い方がよい。
思考実験するに、もし手が当たっていたのが故意じゃなくても、
その言い方なら「申し訳ない」と思うことはあっても、失礼だとは思わない。
「お前なんか触わらねーよ」って言うことはまずないと思う。
(手が当たってたことは事実な訳だから。)

ここから重要。
「触られたくない場所に接触されている不快」自体は、
相手が痴漢かどうかに拠らない
わけだから(痴漢っぽい方がより嫌だろうけど)、
痴漢かどうかとは別に「どけて」の意思表示は全然ありだし、失礼じゃない。


A絶対痴漢と確信が持てる(手が入り込んでる、とか)場合。
→「やめてください」「触らないでください」系。
これは犯人への警告以上に、周囲へのSOSの意味が大きい。
東京人がどれだけ冷たくても声を上げたなら周囲は助ける。

ここからまた重要。
声を上げない限り周囲は助けられない。
視線などでは周囲は動けない。痴漢されているという確信が持てないからだ。
故に、痴漢を睨むという行為は痴漢本人への警告になりこそすれ、周囲を動かす力にはならない。


冤罪については、結局のところ何を望むのかが問題になる。
犯人に罰を与えたいのか、単に不快から逃れたいのか。
後者なら、「痴漢」って言葉を口に出したら、周囲まで巻き込んで大事になるけど、
「手が当たってます」なら犯罪行為を非難したわけじゃないから
冤罪の起こりようがなくてマイルド。

ただ、前者であるなら、
犯人に与える罰は「人生を捨てさせる」という極めて重いものになるから、
「痴漢の確信」が必要になる。

(実際には、裁判で冤罪になるケースは少ないと思われる。
 裁判に至るまでになあなあで話がつくからだ。
 この点を考慮して、「痴漢っぽい」段階で相手を非難するという方法論もある。
 どうやら痴漢っぽくないと分かった段階で取り消せばいいからだ。
 しかしこの方法は倫理的に問題があるし、冤罪で刑が確定しなくても、
 疑われただけで社会的な損害を受ける。)


まとめ:
・確信がなければ物理的な現象への不快を表明する。
 間違われても失礼と思うことはない。
・確信があれば声に出して相手を非難=周囲に助けを求める。
 周囲は必ず助けるから。


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2007年07月09日

共依存

「僕も君と同じように苦しい」なんて言葉は誰も救わない。
ある種の慰みが一時的な、不安定な安定を感じさせてくれるだけだ。
共依存に価値があるとするなら、「世界はクソだけど、あなたは信じられる」ではなくて、
「あなたのような人がいるなら、もしかしたら世界はクソじゃないのかもしれない」と
思えるところにある。
開かれなきゃ、閉じた空間の中で酸素は薄くなっていくだけだ。
二人である分、一人の時よりも早く。

ダメな君を見ると安心するじゃないか。だから一緒にいようか。
君が成長したらこの関係は終わってしまうけれど、それを自覚しているなら、
扉にかかった手が、開く方向に押していると信じられるなら、二人で押してみようか。
一人分の隙間が出来た途端、どちらかがそこを外にすり抜けてしまうとしても。
残った側が扉の重さに耐え切れず、閉じ込められてしまうとしても。
押してるうちに筋肉がつくかもしれんしね!まあ、つかないんだけど。

それとも支えていてくれるかい?無理だろう?
成長したら君は僕を捨てるよ。僕が君を捨てるように。
それでも、一緒にいようか。もしかしたら、上手く二人とも外に出れるかもしれないよ。
でもそんな保証はいらないんだ。君だけが出ていっても、それまでは一緒にいたいんだから。


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posted by あゆ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月27日

今から

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最初に夜勤の愚痴。

今月は二人で一つの「台」(機械)を動かした。
僕は大体一日で36000〜40000処理する(何をかはここではスルーで)のだが、
パートナーの人は、僕が来る前日、12000だったらしい。

で、そのパートナーと二人で一緒に仕事をして、
休み時間に入る前に4000処理してたわけですよ。
そこでパートナーが言う。「今日は順調に入ってますね!

ここでは5000入れてたいんだよ。
遅いのはいいからさ、「遅い」ってことを自覚してくれよ…。
何だろうね、この自覚の無さ。
ノルマを知らないとしても、自分が入れてる量がとても少ない可能性について
不安になったりしないのだろうか?
俺はノルマ知るまで不安だったぞ…。

愚痴終わり。


職場でいろんな人と触れ合う。

僕が働いている医学系出版社では、
国試に落ちたいわゆる国試浪人の人だけでなく、国試合格後に医師にならない人がたくさんいる。
音楽での成功を望む人。
外国の大学を出て、日本の国試を受けるまでのつなぎでいる人。
漫画家を目指している人。
モデルでの成功を夢見る人。
何がしたいともなく、仕事をたくさん入れる人(正社員になりそうだ)。
医学部を受かり、国家試験も受かり、芸大に入ろうとする人。

夜勤の方の職場もそうだ。
ここでもバンドでの成功を望む人がいる。
若い頃は津軽三味線で食っていて、現在は写真家で食っていこうとしている人もいる。


僕が医学部にいた頃には到底知り合えなかった人々がいる。
僕は彼らに憧れながら、自分に失望しながら、奮い立たせるしかない。

僕は色んなところで「あゆなら何かやってくれそうだ」と言われる。
でも、そんなことはない。僕の能力のなさは僕自身が分かっている。
しかし、それでも、
「今から」が遅いはずが無い。

それにしても僕は人見知りだ。

話さない人はコミュニケーションしたくないんじゃなくて、
コミュニケーションが苦手なだけかもしれないわけですよ!


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2007年06月22日

標準化ゲーム

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電波利権
池田信夫


コンセンサスはどのように形成されるのか?
池田信夫の『電波利権』から考えてみる。2つのケースを見てみる。

@携帯電話をアナログからデジタルに移行する際のこと。
各国が個々のデジタル規格を用いていており
(アメリカなどは国内でも複数の規格が乱立していた)、
ITU(国際電気通信連合)が規格の世界標準化に乗り出した。
ヨーロッパが主張した規格はGSMと呼ばれ、
当時の世界シェアの圧倒的な部分を占めていた。
一方NTTが主張したのはPDCだ。性能で優れたPDCを郵政省も後押しした。

結果、デジタル携帯電話(第二世代)の標準化は、GSM主導で行われた。
現在のGSMシェアは世界の80%以上を占める。
PDCシェアは数%となってしまい、自社規格に拘り続けたNTTの姿勢は批判された。


Aその後の話。
今度は携帯端末用の効率的なパケット交換システムの標準化が図られた。
当時200社以上が参加するWAPというグループが標準化を進めていた。
彼らはその名の通り、IPパケットを圧縮した「WAP」というプロトコルを推し進めていた。
一方NTTは、これまた独自の規格、「PDC-P」という日本でもNTT独自のパケットを推進した。
PDC-PはPDCの二の舞になるのを危惧された。通信速度も遅く、TCP/IPとの変換処理も遅い。
なおかつローカルなのだから。

しかし、その予想は外れ、PDC-Pプロトコルを用いていたiモードは爆発的に広がり、
世界標準になった。WAPはiモードに追随し、
iモードが用いているC-HTML言語との互換性を備えるようになった。


これらは、相反する結果に見えて、同じ方向性を主張している。

既成事実だ。
GSMは、圧倒的なシェアが前提としてあったから、標準化の規格になれた。
iモードもそうだ。WAPが200社からなるグループだったが故に、
内部での規格化調整に時間を費やしている間に、
iモードでの独自のシステム構築と消費者の獲得・市場の拡大を成し遂げてしまったのだ。


と同時に次のことも言える。
規格の標準化は、「上」からなされるのではない。
多くの思惑を超えて、市場が自律的に「標準」を形成する。
高機能なものが世界の標準となるのでもないし、
ここに挙げた例以外でも、多くの会社が集まり統一の方向性を
作ろうとして失敗したケースはたくさんある。
誤解を恐れず言うなら、「制度は設計できない」。

僕は市場原理を万能視しているのではない。
政府にも会社が構成する機構にも価値はあると思う。
その価値とは、適正なゲームが行われるように監視するという機能だ。
既成事実が重要とはいえ、寡占や新規参入障害は拒絶しなくてはならない。
(日本の携帯電話の値段の高さはよく批判される。)

しかしそこに求められるのは「公正さ」であって、効率化ではない。
効率のためのルール形成は、市場に任せるべきなのだ。
特に、技術革新が早い分野では、上からのルールは単なる「重し」でしかなくなる。


ちなみに、池田は次のように主張している。
・政府は業者に占有されている電波を逆オークションで買い取り、オークションにかけよう。
・通信業のインフラにテレビ局コンテンツを流そう。
・コンテンツに関わる著作権を一括化しよう。


結論:中央が行うべきは効率化ではなく、効率化の舞台を整えること。


蛇足だが、政治で民主主義が採用されるのは、最も効率的な解が導かれるからではない。
非効率さや、意思決定の遅さは予め許容されている。
(民主主義では正しい解は導けない。国民レベルの国にしかならない。)
民主主義の一番の価値とは、「結果に納得できる」と人々が信じていることだ。

経済に比べて政治は時間の流れの遅さが許されるから、
人々は民主主義という談合システムに耐えられる。
政治システムはそれでよい。のか?

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