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2011年05月05日

「安全」は壊れたのか

Officials need to tell people immediately how to avoid the initial, most dangerous, exposure; yet in the longer term, scientists and the government must battle against unnecessary concern over low-level doses of radiation, which often causes more harm than the radiation itself.
               ―――Mark Peplow 「Chernobyl's legacy


・あさま山荘では理念が空回る怖さを、コンクリ事件では若者の残虐を、宮崎勤事件では「異常者」の怖さを、オウム事件・サカキバラ事件では動機の見えぬ不透明な悪意を社会は学習した。(一方秋葉原事件は理解可能な点で「透明な悪意」だ。)どれもが、社会の「安全」に対する挑戦だったが、一方で「偏った奴ら」たちの行動と言う意味では通常世界の外部だった。社会にはそういう「変な奴ら」もいて、通常世界の安全を脅かすわけだ。

・しかし、バブル崩壊後の「一流」企業の破綻、耐震偽装、原発事故はそうではない。通常世界の内部で、最も安全だと主張されていたものが壊れてしまった。これらは上記の事件たちとは性質が異なって「内側」の問題であり、社会の「底」が抜けてしまうという問題である。もちろん日本の経済力や技術力が否定されたのではないが、言うならば「安全」という言葉そのものが死に瀕しているのだ。(ちなみに、「安全」「安心」が母の象徴なら、「聖職」「先生」という父の象徴語は既に死んでいる。教師も医者も宗教者も、学者も官僚も政治家も、かつて商業的成功者とは別にいた「偉い人たち」「立派な人たち」は、今では敬意を払われず消費者優位が決定的になった。これが(ポスト)近代である。父の死後、必然的に母の死がやってくる。(あと、ユッケは最初から生肉は危険だと分かっているので安全神話とは関係ない。))

・つまり、社会は公的だと見なされる人・機関が「安全だ」と発話しても、それを信頼に足るソースだとは思わなくなってしまった。これは戦国時代前の日本の状況だ。朝廷も将軍も権威がなくなり、安全を保障するのは大名という「小さくてより距離の近い権威」になる。政府よりも武田邦彦「様」を、堀江貴文「様」を、飯田「様」を、池田「様」を…信じるようになる。クラスタが形成され、大名(もしくは教祖)が紹介すれば、どこの馬の骨とも分からぬジャーナリストの体験記や、学者風情の個人的意見だって鵜呑みにするようになる。(これぞ権威主義なのだが。)

・かくして大名(+武士団)同士の戦争が起こり内戦状態になる(原理主義的な宗教戦争の比喩でもいい)。戦国時代は豊臣→徳川で収拾されるが、武力と違い知力・宗教の闘争はそのようなことが起こらない。どちらかの極ではなくて「中くらいで収める」中庸の力(直接ルートと呼ぼう。つまり、常識や民族的直観で中くらいを定めるルート)は、既に日本から損なわれてしまった。それには人々に伝統が身体化していることが必要だ。

殊更今回の事故は、「安全」という言葉そのものへの攻撃であり、被災地では「東電は安全と言ってたじゃないか!」という怒りが膨れ上がる。これを「『絶対安全』なんてない」と東電が口にできないのは当たり前だが、事実としてそうであるのも当たり前だ。そう、「誰が安全だと言っても最早信じられない」ことは、本来普通のことなのだ。それを権威の幻想でカバーしていただけで(僕はそれは正しいことだと思う。政治は不確実性を減じ、減じられなくてもそう見せかけるという役目がある)、世界はそもそもそうなのだ。この事実は大名にも覆せない。

「安全」だと信じることとは「いついかなる場合もあなたを傷つけない」という客観的な事実を御伽噺的に信じることではなくて、本来「大部分大丈夫」だと信じるということであり(世界は予想外でいっぱいだ)、「仮に自分を傷つける結果がとても少ない確率で起こったとしても、そんときはそんとき」と内的処理する覚悟である。

・僕が言いたいのは、「安全」という言葉を今後も十全とは言わぬまでも、従前通りとは言わぬまでも、機能不全には陥らせず、不安を減ずる言葉として流通させる心構えについてである。今回の事故で
@「誰が安全と言ってももう信じられない!何を頼ればいいか分からない。
  所詮すべてに根拠なし。」(不信主体、もしくは過度な無常観主体
A「あの大名の言うことしか信じられない。所詮安全なんて主観じゃん。
  どの神様選んでも自由でしょ!」(党派主体
B「自分しか信じられない。危険になる可能性のあるものは、
  念のためとにかく避ける!」(過大自己主体

が量産された。これを避けつつ、ある程度(しかし、かなりの程度)他者を信じて、少し疑うという「健全さ」を保つためには、「ともあれば自分が傷ついても良し」というルート(個人から始まる間接ルート。これが集合知として歴史化されれば直接ルートに合流する)を経由しなければ無理なのだ。これは、「意見を発表している他者は自分への利益誘導ばかり考えて、科学的事実も捻じ曲げて発表し、他の人を犠牲にして人体実験を行ってまでも都合の悪い情報を隠し…」という「騙す存在」としての他者像を大部分捨てることでもある。そんな奴らばっかりで、悪意ばっかりで、世界が構成されているはずがないという常識を取り戻すことだ

・「安全」像と他者像の更新をすべきだ。しかし、保身主義者には最も難しいことである。これを拒むのは、「私(の家族)は絶対他者に傷つけられてはならない」というパラノイアなのだから。絶対安全も絶対危険もないなんて頭では皆分かっていて、それでも不確実性をなるべく減らしたいのは、不安を減じたいのは、万が一でも傷つけられたくないのは何故か。けれど、自分の想定と未来が異なり傷つけられてしまうことは、本当にそんなに悪いことなのだろうか。そもそも将来なんて分からないし(無常だし)、傷つけられるのと同じくらい、もしかしたら想定していたより「いい方」に行くかもしれない。迂回すればより早いということだってよくあることなのだ。

・「安全」は何らかの事故・事件が起こるまでは、究極的には確かに主観でしかない。しかし、不信・党派・過大主体ベースの「安全」は、幸福なのだろうか。もしそれがストレスフルなものなら、本末転倒ではないだろうか。僕には彼らが、「安全」を信用しないそぶりを見せて、最も「『安全』の存在」を信仰しているように見える。「誰が安全と言っても、最早信用できない」という苛立ちながらの発話は、「信用できる安全」の存在を頭に描いている人間がするものだ。誰かの言う「安全」なんて100%信用できなくてもいい。「安全」は壊れたのではなくて、本来の距離感に戻ったのだ。それでも信頼は成り立つし、社会は運営できるし、「安全感」は成立する。傷つけられる覚悟の下に。その安全への信頼を「安心」とでも呼ぼう。
posted by あゆ at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

批判できない空気

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mixiである男性が女性にバッシングされていた。
その男性は妻による子供の虐待において、
支えられなかった夫がバッシングを受けるという状況に反感を覚えていた。
彼の思想はこうだ。僕の思想でもある。

・理念として男女は平等であるべきだ。
・家族内で色んな形の役割分担があってもよい。
・子育ては大変で、価値がある。仕事がそうであるように。
・家族運営にはお互いへの思いやりと協力が必要。


ここまでは女性も同意できるだろう。
しかし何故、彼が反論されるかと言うと、彼が「男性不利社会」を訴えたからだ。
以下のような認識が女性と共有されなかったからです。

・現在の社会システム、少なくとも結婚システムは男性の負担>女性の負担であり、女性を楽させるシステムになっている。
・例えば、男性は家事・育児を手伝って当たり前なのに、女性は仕事をするのが当たり前ではない。女性が「病気になったら働く」「うつになったら働く」と自然に言ってしまう時点で、もう不平等。そのような中で結局のところ、男性は仕事から帰り、家事・子育てに参加し、女性の愚痴を聞き、労う。過労。
・さて女性による子供への虐待があると、男性が非難される。しかしある犯罪において第一義的な責任は加害者にあり、加害者の周囲状況にあるのではない。加害者は何よりも非難されなくてはならない。(それは加害者の周囲状況に目を配らないこととは違う。)
・このような状況で加害女性への共感(男性への反感)が先立つことは差別的である。それは無意識に女性優位思想を含んでいる。

男性による子供への虐待があっても、女性が非難されることは少ないだろう。不平等だから。
彼に反感を持つ人も、男性が感じている不平等感については知っておいた方がいいだろう。
(そうそう、いまだに男性=強者、女性=弱者図式で
 社会の言論が回っていることには苛立ちを感じる。最早現実はそうじゃないのに。)

とはいえ、
男も女も自分の性を被害者側に持って行きたがるのだ。
心理的な保護を受ける理由になるだけでなく、被害者はある種のヒロイズムを感じられるから。

しかし男女の「どっちが被害者かゲーム」には決定的な違いがある。
女性は叫べるけど男性は叫べないという文化的な違いだ。
男性は不満をなかなか口にできない。男らしくないからだ
女性は、男女平等を叫び、ジェンダーを否定しながら、
「女性の立場で考えられる懐の大きさに、女性は好感を抱く」など
と言うのだ。
そしてこの矛盾した状況を社会が受け入れている。
男性は沈黙するしかなくなる。
僕だって仲良くない人の前ではこんなこと言わないだろう。

だから彼の書き込みに正直僕は驚いた。
日本の言論状況的にバッシングされるに決まっているのに、
「男性側の論理」を述べてくれたからだ。

「女性は被害者で、悪いのは周囲の状況」と言っているように
感じられる文言には反発したくなる。
「女性を批判できない雰囲気」自体を僕を批判する。


最後にその上で。
僕は好きな女性の為に苦労してやろうと思う。
(僕はそのことが「正しい」と言っているのではない。趣味だ。個人的な嗜好だ。)
家事や子育てへの両親の参加は決して自明ではない。それこそ各家庭で決めるべきことだ。
僕はその上で参加したい。楽しそうだからという暢気な理由で。

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2007年07月17日

ジェンダー論の誤謬

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「子供は女性だけで育てるものではない」というのは、当たり前なのか?
これが現在の理想なのか?


結論から言うと、当たり前ではない。

これは重要なことだ。
仕事にせよ、家事にせよ、育児にせよ、
「〜は男性(女性)の仕事」と述べることと同じくらい、
「〜は両方でやること」と述べることは束縛的なのだ。
そんなことは各家庭で決め、両親が合意すればいいことであって、
全ての家庭に強要すべき思想ではない。

「母性神話」を嫌う女性がいる。それはジェンダーに過ぎず、
母性への期待が女性を追い込んでいるという指摘がある。
しかし、現在広まっている「育児は両性がすべきだ」という思想は
それと同じくらい押し付けなのだ。

何を誰がやるかは各家庭で決めればいい。
その上で大切なのは、双方の重荷を肩代わりしてやる柔軟性や、
ストレスを抜いたり相談できる環境じゃないか?

それから。

フェミニストは言う。(参考はこちら。)
・虐待の原因は「孤立育児」「密室育児」「密着育児」にある。
つまり母親が子どもと二人だけで家の中にいるという状況そのものが
母親をイライラさせ、追いつめていく。
・「母親は誰でも母性本能があるのだから、子どもを可愛くて当然」
という言い方が、母親を追いつめて虐待にまで追いやる。

結果、新聞の家庭欄や生活欄には、
フェミニズム系統の「母性神話原因説」がキャンペーンのように
一方的に掲載され、公正な論争とは言えない状況になった。
母親に「母性本能なんてないんだから、子どもを可愛く思えなくてもいいんですよ」と、
気を楽にさせてやったりするようにまでなった。


これってどうなんだろう。
僕は「母親しか育てられない」というのは「母性神話」だと思うが、
「女性には母性本能がない」という母性本能否定説には否定的だ。
何を根拠に「母性神話」を否定しているのか?
ちなみに、特に明治以降女性が家に囲い込まれたことはこの話と直接的に関係がない。

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2007年07月11日

気になるニュース24

気になるニュース。

・信頼は安倍氏、リーダーシップは小沢氏…読売ネット調査
・テーマを絞った党首討論を
・レースゲーム「Forza2」で日本のユーザーたちがデザインした車がYouTubeにアップされ、
 海外で大反響
・「アンビリバボー!」醤油の材料に頭髪?食品加工の驚くべき実態―中国
・“30代はキレやすい?” 暴行事件増加、10代の3倍に…動機は「憤怒」が8割
・安倍首相、中国のサミット正式参加を拒否 米・独と歩調一致
・石井731部隊の真実



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posted by あゆ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

医療不信の表れ方

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【医療】「内科検診で胸触られた、乳房つかまれた」 女子高生120人苦情、学校謝罪→校医「正当な医療行為」と批判…北海道・札幌★6
1 :試されるだいちっちφ ★:2007/07/01(日) 00:43:53 ID:???0
★札幌の道立高 「胸触られた」120人苦情 女生徒 内科検診終了できず

 札幌市内の道立高校が五月中旬に行った内科検診で、女子生徒約百二十人が「(大学病院から検診の応援に来た三十代の)男性医師に乳房をつかまれた」などと訴えたため、検診を中断していたことが二十九日、分かった。学校側は「丁寧に診たことで誤解された」としているが、一連の混乱で学校保健法が健康診断の期限とする六月三十日までに、検診を終えられない事態となった。

 同校や道教委によると、内科検診は二日間の日程で初日は一年生全員と三年生の半数の計四百五十人が対象。大学病院からの応援医師(協力医)三人と学校医の計四人が診察。協力医のうち男性一人、女性一人が女子生徒を担当した。
 検診後、女子生徒から養護教諭や担任に「(男性の協力医に)右手で聴診器を当てている時に左手で胸をつかまれた」「ブラジャーを外された」などと苦情が続出。
 このため、学校は二日目の検診を延期した上で、この男性医師が診た女子生徒にアンケートを実施。一年生百二十人のうち九十人と三年生の三十四人全員が不快な思いをしたと答えた。

 同日、学校から相談を受けた学校医が、大学病院の医局を通じて男性医師から事情を聴取。その結果《1》乳房の下部に位置する心尖(しんせん)部の心音を聴くため、ブラジャーを外したり乳房を持ち上げたりした《2》短時間で行うため、聴診しながら同時に胸郭のゆがみを調べる触診もした−と判断。これらは正当な医療行為で、他の医師より丁寧に診察したことが誤解を招いたと結論付けた。
検診では胸郭の異常を調べることなどが定められており、また、この医師は他校の検診で問題になったことはないという。
 検診の二日後、臨時全校集会で校長が「校内において不安で不愉快な思いをさせ申し訳ない」と謝罪した上で、「(医師は)大学病院勤務で学校検診は不慣れだった」などと説明した。 (>>2以降へ)

北海道新聞(06/30 07:11)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/35229.html
前スレ(★1の立った日時:2007/06/30(土) 10:44:23)
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1183207709/


2 :試されるだいちっちφ ★:2007/07/01(日) 00:44:00 ID:???0
(>>1つづき)
 さらに、女子生徒の保護者に家庭訪問などで説明したほか、ショックを受けた女子生徒には専門家によるカウンセリングも行った。
 学校は二十七日に検診を再開したが、学校行事の関係で二年生三百十二人の検診が七月中旬にずれ込むこととなった。
 同校の教頭は、六月末の期限に間に合わなかったことは「申し訳ない」とした上で、「今後は女子生徒の感情に配慮するよう学校医から協力医に事前に話してもらう」と話している。
 また、学校医が「学校のアンケートが混乱を大きくした。正当な医療行為だと生徒や保護者に説明することが先だった」と学校の対応を批判。六月十五日に辞表を提出している。

・学校側対応は正当 道教委学校安全・健康課の佐藤憲次課長の話

 期限までに健康診断が終えられなかったことは残念だが、学校側の対応はおおむね妥当と考える。内科検診の内容や必要性について、思春期の女子生徒やその保護者にはさらに丁寧に説明して理解を得るよう努力してほしい。

・聴診は重要で常識 札幌市学校医協議会の長谷直樹会長(はせ小児科クリニック院長)の話

 後天的な心臓病を発見するため(乳房の下の)心尖部の聴診は重要な場所であり、ブラジャーを外させ、乳房が大きい場合は持ち上げて聴診器を当てるのは医師として常識。胸郭の異常も思春期の女子に多く触診は必要。病気が内科検診後に見つかり「学校医は病気を見逃した」と親から抗議が来ることもある。入念に診ることを批判されたら検診は成り立たない。学校が事前に検診の内容や意義を十分生徒に周知する必要がある。

※専門家コメントは6/30朝刊紙面から文字起こし

各社ソースあります
http://www.stv.ne.jp/news/item/20070630113558/index.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hokkaido/news/20070630hog00m040005000c.html

一先ず、医者に何らのやましい気持ちもなかったとする
その場合、あまりに医者がかわいそう過ぎる…。
心尖拍動を見るために、そして何より心尖部の心雑音を聞くために、
乳房を持ち上げなくてはならないことはよくある。
また、胸郭の異常も若年女子に多い。

ここで、「そんなの素人が知らなくて当たり前じゃないか」という人がいるかもしれない。
しかし僕が言いたいのは次のようなことだ。

自分の知らないことは受け入れられないのは何故なのか?

医者がやることだから医学的に必要なことなのだろう、と考えられないのは何故なのか?
専門家と素人には情報の非対称がある。
かつてはその非対称を信頼で乗り越えることが出来た。

しかし今は、非対称を埋める情報を必要とする。そうじゃなきゃ相手を信じれない。
今回のようなケースこそが「医療不信」が現場で表出した場合の形なのだ。
そして、この医者不信は患者不信に反転する。
疑われないためにわざわざ胸を持ち上げてまで心尖拍動を調べないという
インセンティブが出来てしまう。
実際、そういうことはあるようだ。これは患者にとって不幸ではないか?

疑いは、真面目な人間をふてくされさせる。


一般的に、情報の非対称は情報では埋まらない。
専門家と素人の知識には落差がありすぎるし、それを説明する時間もない。
これを解決する方法の一つは、仲介者を置くことだ。
例えば医療であれば、医者以外の、医者と患者を繋ぐ人間を用意すること。
(「up to date」が読めるくらいの能力は必要だろう。)

しかし今回の場合、信頼穣成の時間もなければ、現場で仲介者を置く時間もない。
この場合、医者を女性にするか、学校側が予め周知しておく努力が必要だろう。
僕は常々学校教育で医学的知識を教えるべきだと思っているので、是非そうしてもらいたい。

しかし、「説明しなきゃいけない」ことが自明化した社会なんて嫌だなあ。


で、ここから医者に何らかの過誤があった場合
(やましい気持ちの有無は置いておいて、疑われても仕方の無いようなやり方だったとしよう)。

3年の全員が不快感を示していることから、もしかしたらもしかするのかもしれない。

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2007年06月25日

偽装国家と臆病さ

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偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義
勝谷誠彦


偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義を読む。

勝谷誠彦は、感情的にはとても好感の持てる物言いをする人間だ。
彼が怒るべきところはまさに僕が怒るべきところだし、
譲らないところは譲らないところなのだ。

この本は、近年の社会問題を寄せ集めて、「偽装」という観点から論じたものだ。
といっても、「論ずる」と呼べるほど深い議論はなくて、
ただ何度も繰り返し、偽装が横行する現状を述べている。

さて、最近の話。
食肉偽装 暴落した中国産カモ肉も混入 鳥インフル流行時
6月25日16時56分配信 毎日新聞


 中国で鳥インフルエンザが流行した時期に価格が暴落した中国産カモ肉を北海道苫小牧市の食品加工卸会社「ミートホープ」が大量に仕入れ、牛などのひき肉に混ぜていたと24日、同社元幹部が毎日新聞に証言した。毎日新聞が入手した同社の内部資料には牛ミンチにカモ肉を混入したことが記録されている。同社がコストを下げるため、なりふり構わず格安の原料を探していた様子がうかがえる。この日、道警苫小牧署などは、同社本社と汐見工場など約10カ所を不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で家宅捜索した。【金子淳】
 元幹部によると、中国産カモ肉は通常1キロ当たり500〜600円程度だが、04〜05年ごろに中国で鳥インフルエンザが流行した影響で相場が暴落した。元幹部は「そのころ、1キロ当たり30〜50円程度で数十トン単位で仕入れ、牛などのひき肉に混ぜて偽装していた」と証言した。
 同社は10年以上前からミンチに水を混ぜて増量したり、化学調味料で味をごまかしていたという。元幹部は「社長はどんな肉でも無駄にせず、何でもひき肉に入れていた」と話した。
 内部資料は工場長が作成した「投入原料日報」(06年7月)で、そこには「牛ダイヤ」と呼ばれるミンチの原料欄に「カモササミ」と記載されている。同社の牛ミンチを使った牛コロッケからは、鶏のDNAが確認されている。

この日記を書いているのは6月29日なのだが、
この時点で新しく「肉の洗浄に屋根からしたたる雨水を使っていた」ことが分かってきた。
酷い。


まあ、こういうニュースが上記の書籍には22個述べられているわけだ。

僕は談合システムに対して一概に反対の立場をとらないが、
短期的視野とことなかれ主義、談合主義的共産主義が
偽装を常態化させているという勝谷の批判は最もだろう。

ただ、もう少し処方箋を示して欲しかったな。
「談合が弱者を保護する」という利点との絡みも論じて欲しかった。


この流れでベンジャミン・フルフォード。



日本マスコミ「臆病」の構造―なぜ真実が書けないのか
ベンジャミン・フルフォード






イケダ先生の世界―青い目の記者がみた創価学会
ベンジャミン・フルフォード


この2冊はまた、勝谷とは違った視点で日本の諸問題を見る。
ベンジャミン・フルフォードは「タブー」を通して日本を見る。
彼もまた、勝谷も指摘するように、いや、多くのメディア関係者が自ら指摘するように、
記者クラブ制は廃止すべきだと主張している。それこそが臆病の温床だからだ。

臆病さの具体例を挙げてみよう。
今までに「外国の雑誌が皇室について〜と報道」といった記事を
見たことがないだろうか?それの裏側はこうだ。

新聞は皇室について書けない→雑誌記者にリーク
→雑誌記者も皇室について書けない→外国の雑誌記者にリーク
→外国で雑誌化される→それを引用して日本の雑誌が報道
→それを受ける形で新聞が報道


外国の雑誌で日本のタブーに関する報道がなされるとき、
新聞社は既にその情報を得ている。


これが臆病だ。知っているのに書かないことが日本のメディアは多すぎる。
これは根回し主義と繋がっていて、内輪的談合と偽装と関係している。

ただ、ベンジャミン・フルフォードは文章が上手くない。
説得力が弱い上に現状分析だけで、「結局何でそんなに臆病なのか」が
上手く伝わってこない。

最後の創価学会の本もそうだ。
無知な外国人記者として、信憑性のある話をしているものの、
読者の「もっと裏が知りたい」という思いは未消化なままで終わる。


ってことで、上記3冊はスラスラ読めるけど少し内容薄めでした。

創価学会の資産は10兆円!

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2007年06月24日

集団自決に関する教科書問題

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集団自決教科書問題、沖縄の大学教授ら検定意見撤回を要望

 文部科学省の高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での住民の集団自決に「日本軍の強制があった」とする表現に検定意見が付き、修正が求められたことに対し、沖縄県内の大学教授ら約40人が15日、文科省を訪れ、検定意見の撤回を求める伊吹文科相あての要望書を提出した。

 要望書の趣旨に賛同する8万3368人分の署名も手渡した。

 要望書では、今回の教科書の修正に関して、多くの沖縄県民が「歴史の歪曲(わいきょく)だ」と認識していると指摘。検定意見の撤回と審議経過の公表を求めている。

 これに関連して、安倍首相は同日、首相官邸で記者団に「沖縄戦は大変悲惨な戦いであり、気持ちは私も良くわかる」とした上で、「一方で、検定について私が指示をするわけにはいかないこともご理解頂きたい」と述べた。

(2007年6月15日20時18分 読売新聞)

歴史的経緯。
自決強制の問題は、ずっと左が主張し続けていて、教科書に載っていたのだ。
で、それを右の人が「事実を変えるな!」と主張していた。
「自決強制があった」という証言をしたにも関わらず、
後になって「本当は無かった」と証言を翻す人が何人もいたからだ。
(軍命令で自殺したのであれば遺族年金が出る。
 そのことが嘘をつかせた理由と言われている。)

僕は自決強制が本当にあったのか疑っているが(集団自決自体はあった)、
大きく議論が分かれている以上、載せないというのは政治的に正しいと思う。
事実を葬り去ろうとしている」という批判があるが、
「事実を葬り去ろうとしている」かどうか自体が今問題となっているわけで。

一部の権力者たちによって、自分達の都合のいいように、歴史を塗り替えさせてはいけない
という人がいるが、
集団自決がなかったと言うことで、権力者たちにはどんな得があるのだろう?
(「ナショナリズムを煽って支持率回復するんだ!」とかは止めてほしい。)

政府が証拠が残ってないことを認めてはいけない。
僕は「なかった」と言っているのではない。
今の時点の政治的な妥協点として正しいと言っているのだ。


では、そもそも「証拠」とは何なのだろう?
確実な証拠は、自決を強要する場面の録音または録画媒体だ。
それがないのであれば、「自決強要を軍が決めた」という文書
(作成者、作成日時が分かっているもの)。
その次に、第三者の、複数の、筋の通った証言。

特にこの問題では、「集団自決で軍の強制があった」と証言した人が
「強制はなかった」と言うようになって「自決の生き残り」の証言の信憑性は揺らいでいる。

利害関係者の、筋の通らない証言は証拠として価値が低い。
この件で事実を認めろと叫んでいる人は、
(主張している当の本人を除いて)何故証言だけであったと言い切れるか分からない。
僕だって「あったかもしれない」とは思うが、何故断言できるのだろう?
沖縄県の新聞だって、かつては「軍による強制が無かった」と書いていたのに…。


ここは全体主義国家じゃないのだ。
疑問を呈することすら許されないなんて異常だろう。


ちなみに、沖縄は戦争に関して言論の自由が(本土に比べ)許されていない。
この特殊性は考慮されるべきで、沖縄で「軍の強制がなかった」ということはタブーだ。
(これは戦争の被害が大きかった広島などでも言える事だ。)
本土ですら「本当に強制はあったの?」というだけで
こんな反発を受けるのだから言わずもがなだろう。


mixiで、僕のような思考を批判しているだろう文章として、
そこに先祖代々住んでいるわけでもない人間が
 よくもまあ勝手な無神経なことをいえるものだと非常に不愉快にすら感じる

というものを見かけた。
しかしこれこそが全体主義の思考じゃないか?

従軍慰安婦問題で軍の強制がなかったと考えられているように
(今では左の人すら認めていることだ)、
「弱者」の主張が全て正しいわけではない。
彼女らの武器は「被害者としての立場」そのものであって、
倫理的に疑うことが許されないという強みを持っている。
弱者を疑うと周囲から批判されるからだ。
だからこそ、疑わなくちゃダメなのだ。僕達はそこにいなかった第三者なんだから。


僕は、証拠がないものについて誰かが「あった」と信じることはありだと思う。
そう信じたいときもある。
ただ、「あった」と押し付けられることについては拒絶する。
教科書に書くということは、事実だと認めることだ。
教育を行うには、あまりにナイーブ過ぎる問題だろう。

ただ、教科書で(or授業で)、
『あった』と言う人がいる」という言い方はしてもいいかもしれない。
ただしその場合、「『あった』と言っていた人が、
後になって『実は無かった。年金の為に嘘をついた』と言った例がある

ということも言う必要がある。


1945年以降、日本においては、戦争に関して言論の自由がずっと許されなかった。
連合国の言ったことを受け入れ、
やっていないことだってやったと言わなくてはならなかった。河野談話がいい例だ。
戦争に関する言論に関して、全体主義的だったというのは誇張でも何でもない。
異論が許されなかったのだ。
そして今回の問題もその臭いがどうしても漂ってくる。

言論の自由を!

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2007年06月21日

『ヤバい経済学』

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『ヤバい経済学』を読む。



ヤバい経済学 [増補改訂版]
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー


2006年に売れまくった経済書の増補版。
「経済学にはこんなに力があるぜ」ということを身近な例で示してくれる本。社会学みたい。

面白い。
1990年代のアメリカにおける犯罪の減少の理由は何か?
厳罰化したから?警察官の数を増やしたから?経済成長があったから?
違う。妊娠中絶を合法化したからだ。このことが統計学的に証明できる。

他にも「育ての親ではなく生みの親に子供の成績は影響される」、
相撲には八百長がある」などなど、受け入れにくい主張がなされる。
もちろんそれぞれの主張は統計学的に証明されている。

ところで、「統計学的に証明されている」とはどういうことか?
簡単に言えば、「これらの事象が偶然に起こる可能性は極めて低い」ということだ。
故に、数学的な意味での厳密な証明ではない。
しかし、逆に数学を除いた多くの科学というものは、
「可能性」で物を語っており、それをもって「厳密じゃない」と否定しまうのもナンセンスだ。
(ポパーが言うように反証可能性こそが科学なのだから。)

経済学的手法の価値は、相撲の八百長問題を見れば分かる。
八百長があると告発した力士がいるとか、その力士が殺されたとか、
そういった事情で「八百長がある」と言う場合、
これらは「告発者への信頼」を基にしている。

けれど、そのような信頼は揺らぎやすいし、故に攻め手にかける。
他の人間が「そんなことはやってない」と言えばそこで終わってしまう。
しかし、経済学的手法はもっと客観的なデータを示すことが出来る。
例えば、8勝6敗の力士Aと7勝7敗の力士Bが戦う時、
普段の戦いから想像される以上にAが負けBが勝っていることがデータで証明される。
これは、何らかの温情が働いていると考えるのが合理的だ。


そして、「告発者」という主観的主張と「データ」という客観的主張が組み合わさると、
説得力がグンと増す。片方だけでは納得しにくいのだ。

主観的主張にも客観的主張にも価値がある。
しかしどうだろう。
後者の方が納得しやすいが、
それが主観と乖離していた場合、どう判断すればいいのだろう?
「データは確かにこう示しているが、感覚と明らかに異なる」という場合。
この本の著者達は「数字は嘘をつかない」と言う。それは妥当だし説得力もある。
けれど、それは過信を含んでいないか?証明不可能なものをないがしろにしていないか?


話は変わり、インセンティブについての話は面白い。
例えば。
1.イスラエルのとある保育園。
子どもを迎えにくるのが遅い親が多いため、「送迎に遅刻したら罰金」という制度を始めた。
結果、遅刻してくる親が増えた。
2.献血の話。
献血者への感謝、そして献血者を増やすために、献血に対して報奨金を与えるようにした。
結果、献血者は減った。

何故か?
1も2も、道徳的なインセンティブを経済的にインセンティブに置き換えたからだ。
遅刻は「金を払えば許可される」ようになり、献血は「痛い思いをしてお金を得る方法」に堕落した。

ここに共通するのは、自らを経済主体へと置き換えれば、良心が身体と距離を置くという思想だ。
面白い。
インセンティブから制度設計することは可能だし必要だし夢もある。

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2007年06月20日

気になるニュース23

気になるニュース。

・飲むワクチン:東大医科研、コメで開発 遺伝子を組み込み、注射要らずコスト安
・エホバの証人:手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪
・親の理不尽な要求、抗議に学校苦慮…読売調査
・カップに広告、モニターからCM…仰天「0円自販機」
・日本人の自尊心の高さ、米国人や中国人との差なし
・世界は失笑…テレ朝がウッズに「ハニカミ知ってる?」



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2007年06月15日

中絶は悪か?2

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(07/06/14)「中絶は悪か?1」の続き。

昨日の日記の問題提起に対して、無難な答えは法律を持ち出すことだ。
法律では胎児は(殺人罪や傷害罪の客体としての)人には原則として含まれない。
中絶は母体保護法で認められている。

母体保護法的には22週未満が中絶の目安となっている。
22週以降であれば医療施設で赤ちゃんは生存できるからだ。
(しかし、現在の医学技術は発展し、
 22週未満の早産でも生存が可能になってきだ。)


しかし、上記のようなことなど、瑣末なのだ。問題はそういうことではない。
中絶肯定派は中絶は殺人ではないと考えているのだろうか?
外に出て生きられるかどうかで(例えば22週を境にして)
赤ちゃんは人間かどうかが決まるのだろうか?
そもそも中絶せずに子宮の中で大きくなり続ければ、
外に出ても生きられるようになっていたのだ。


法?
そもそも、
母体の健康を著しく損う場合やレイプなどによる妊娠を除いては、
現在の中絶の多くは違法なのだ。
法に照らせば、中絶と出産した子の殺人は違法という点で同等だ。
(もちろん、現場では中絶は黙認され、殺人は黙認されないので、
 逮捕されるかどうかの違いは出るが。)
現在の中絶は違法にも拘らずそれこそ「なんでもあり」状態だ。
いかなる理由でも中絶できる。


更に。こちらの方が重要だ。
法により違いを見出すこと自体が、
法以外の部分での相同性を暗黙に認めているのではないか?

法以外の部分、つまり、「殺人である」という認識だ。
もしくはメンタリティにおける
「いない方がいいから殺す」という感覚。
どうだろう?僕が問題にしているのはメンタリティだ。


中絶のメンタリティとは、
想像される父母と子の生活が好ましくないのであれば、
 殺人が許容される
」というものだ。
これは死刑制度よりはるかに悪質で、何故なら個々人の裁量による殺人だから。


今回の殺人は、生まれてきた赤ちゃんを「22週未満の赤ちゃん」と
同じように扱ったんじゃないかと思われる。
それは保身のためなら殺人も厭わないメンタリティ。
18歳母は、「中絶」したのだ。生活を守るために。
中絶肯定派の誰が彼女を倫理的に責められるのだろう?
「あなたは法律に違反したから悪い」とでも言うのなら滑稽に過ぎる。


中絶肯定派だろうが反対派だろうが、
中絶が殺人であると言う認識は必要じゃないか?
合法化(もしくは肯定)は、
「殺人の肯定」であることを踏まえた上で為されるべきだ。

ただし、
胎児は生命ではない(もしくは一人前の生命ではない)という主張を本気でするなら、
中絶は(完全な)殺人ではないという主張も出来る。
しかしそうであるなら、次のことを考えてもらいたい。

22週未満の赤ちゃんの頭を子宮の中で潰す時、
「世界から何も失われない」と考えるのだろうか?
例えば、22週未満の赤ちゃんを妊娠している妊婦を誰かが殺した時、
「二人の命」が失われたと考えないだろうか?

ん?中絶するつもりだった胎児と、産むつもりだった胎児は質が違う?
それを本気で主張できるか?

やるなら本気で主張しろ。議論のためでなく。正当化のためでなく。


僕は中絶は殺人だと考える。
その上で、許容される殺人があると思う。
(こいつはどう考えても死刑だろ、
 と多くの人が思う死刑があるように。)
僕は「中絶は殺人だ」という後ろめたさが機能する限り、
中絶の合法化も構わないと考えている。


自らの生活を維持するために、子供を墜ろすことも一つの選択肢だと僕は考える。
中絶をせざるを得ない場面はあると思う。
僕はその意味で中絶そのものを肯定する。

しかし、そこには「後ろめたさ」がなければならない、
「殺人ではない」ではなく、正当化しないまま、
「殺人だけど許容する」というスタンスだ。
(もちろんこの罪悪感は男性も背負うべきだ。)

悲しさがなければならない。
「当たり前」ではない、どう言い繕っても、言い訳しても、
そこには埋められない、泣きたくなるような喪失がある。

中絶は権利だろう。
しかし、左の人が「リプロダクティブ・ライツ」と主張するときの腐臭は何だ?
権利は権利でも、それを「当たり前」のように言うなよ。心から肯定するなよ。
行使の際に圧倒的な自己嫌悪が伴うべき類の権利じゃないか?
それは法律とは関係なく、自らの手で命を終わらせることへの戸惑いだ。

死刑制度に反対するサヨクは中絶に反対しろ。

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2007年06月14日

中絶は悪か?1

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学生が学校や家で子供を産み、そのまま捨てたり殺したりしてしまう事件が相次いだ。
そんな時に、恐らく左寄りの人から、
学生が妊娠を隠さなくてはならない社会がおかしい」とか、
中絶しにくい社会状況が悪い」とかいう意見が聞かれる。
果ては、中絶反対を訴える人々を責め出す始末。


考えてみよう。
(ちなみに、出産まで妊娠に周囲が気付かなかったことがおかしいという意見には賛同する。)

中絶反対論者ってのは、僕が知るところ、中絶の「合法化」反対論者だ。
現在の法は、母体の健康を損う場合などを除いて中絶を禁止している。
しかし、実際には健康が損われなくても「生みたくない」のであれば
中絶を行える。
もちろん犯罪だ。ただ現場では黙認する。

反対論者の主張は、「中絶が悪である」という認識により、
避妊へのインセンティブを上げることにある。
合法化してもしなくても、中絶は実質的に可能なのだが、
合法化された場合、社会は中絶に対して中立的な価値を
与えたことになり、中絶は「悪いこと」ではなくなる。
これは避妊のインセンティブを下げる。

もちろん合法化のメリットもある。
それは、中絶の安全性を高めることが出来ることだ。
合法化により妊産婦死亡率が減少することが諸外国で証明されている。
(これは、風俗でも麻薬でも同じことが言え、合法化により実態が改善される。
 何故なら悪い状況を訴えることが出来、同時に公権力による管理が可能になるからだ。)
ただし、多くの中絶肯定派の主張では、死ななくてすんだ妊産婦のみが強調され、
死んだ胎児の命は無視されています。


育てられないのに中絶を許さないのは酷い
というのが中絶肯定派なら、
育てられないのであれば避妊しろ」が中絶反対派の根幹だろう。
(「育てられなくても産め」ではない。)

故に、避妊率を上げることを目的とする中絶反対派は、
今回の事件を見て、
生んでから殺すなら中絶しろよ」と言うだろう。
それに対して「中絶反対派のクセに!」というのはナンセンスだ。
(ただし一部の「真の」中絶反対派=生命至上主義者は「妊娠したなら産め!」と
 言うだろう。これも一つの考えだ。)


ちなみに、
中絶反対論者に対して「だったらアナタが育ててくれるんですか?」と言うのは、
意味の分からない押し付けだ。「同情するなら金をくれ」的な。
当事者の感情の爆発であるなら何とか許容されるかもしれないが。



話は変わる。

犯罪の加害者は、多くの場合社会の被害者だ。もちろん。
貧困にせよ、アイデンティティのゆらぎにせよ、
社会からの疎外にせよ、他者への想像力の欠如にせよ、
基本的には社会的構造から生産されると考えていい。

けれど、「だからどうした?」というのが一般的な感覚なのだ。
(mixiの日記でも加害者を責めるものが多い。)
同じ構造にいながら多くの人が犯罪を犯さないにも関わらず、
一部の人が犯罪を犯すのは、構造以外の個人的な脆弱性
(性格等のゆらぎにおける正規(?)分布の両端)があるからだ。

社会的な手当てはまず構造に対して為される。そこに異論はないだろう。
では、個人的な脆弱性に対して、どこまで手当てすべきなのか?
これは難しい問題だ。
弱者(=犯罪脆弱性を持つマイノリティ)に対して優しい社会は、
マジョリティにとって住みやすい世界と一致するとは限らないからだ。


最後に、あえて挑戦的な書き方で問題提起してみよう。

今回の事件で学生が行った「出産直後の殺人」は、
中絶と一体何が違うんだろう?



法律以外の答えを望む。

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2007年06月13日

アロディニア3

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(07/06/11)「アロディニア1」、(07/06/12)「アロディニア2」の続きです。

ストレスが何故過大評価されるのか?
何より、実際に子育てを共同して「やっぱり親と一緒はダメ」となったならいざ知らず、
最初から「親と一緒に暮らさない」という選択をしてしまう若者は
どんな心性なのだろう?
(ここでは親側が同居を望まないという状況は置いておこう。
 実際問題、若夫婦側が同居を拒むことが多いと思う。
 ただし、「高齢社会白書」では、高齢者の子どもや孫との付き合い方として、
 「いつも一緒に生活できるのがよい」が年々下がり、
 「時々会う程度がよい」が年々上がっている。
 また、祖父母による虐待は、実父以外の父よりも多いという事実にも触れておこう。)


問題はここだ。

本来最も気を置けないはずの家族に、ストレスを感じてしまう。
それに耐えられない。
一人(夫婦だけの世界)を好む。軋轢耐性のなさ。
僕はそれを「自由という言い方で孤立を好む病」と呼ぶ。
衝突が起こる人と一緒にいられない。
「ウザい」という言い方で、自分を守る。


何故これが重要と考えられるのか?
そもそもこの話は虐待を如何に防ぐかというところから来ている。

そして、想像以上に両親と子育てするストレスが大きいことが分かってきた。
それと同時に、話を聞いていると次のことも感じられてきたのだ。

母親に耐えられないのと子どもに耐えられないのは同じ心性ではないか?

これは仮説だ。しかし、考えられる。
根本的には好いていたはずの存在が、自分と軋轢を起こすことに耐えられないのだ。
最も近しい他者が怖い。何故なら自分の価値を貶めるから。


親と共同の子育てをすることが虐待の理由となることもある程。
それほどのストレス。
となると、親との同居によって虐待は減るか増えるか?

しかしどうだろう、親の同居によるストレスにより虐待に至るというケースでは、
事後判断として、親の同居がなければその人は虐待を起こさなかったのか?
僕はそこを怪しむ。上記のように親に耐えられないことと、
子どもに耐えられないことには共通性があると僕は考える。


この考えで行くと、親が同居しないことによって虐待は増えるというのはどうか?

・相関関係はあるか?
親の同居を許す群は許さない群よりもストレス耐性があるため、
虐待を起こしにくい。同居の有無は虐待の有無に交絡する。

・では交絡因子を除去した上で因果関係はあるか?
親の同居を嫌がる人々と親が同居することで、
虐待をしないですむ人と虐待をしてしまう人がいるなんてのはどうでもいいことで、
親の介入がない群に比べて、これらの比率がどう変わるかが重要だ。
つまり、
a.親の介入を拒み、介入により虐待してしまった人
b.親の介入を拒み、介入により虐待をしなくてすんだ人
c.親の介入を拒み、介入されないことで虐待してしまった人
d.親の介入を拒み、介入されないことで虐待しなくてすんだ人
a/(a+b)<c/(c+d)であれば介入には価値がある。
(しかしこのような統計はないだろう。)


ここでは、ストレス耐性に着目して、あえて「同居」に拘り続けた。
実際には一つ屋根の下に住む以外に手助けする方法はあるだろう。
何にせよ「親との物理的な接近可能性(アクセシビリティ)」が必要だ、
ということだ。 「近くに住む」でもいい。


僕の主張の根幹はこうだ。
自由のために親を拒むあまり(価値観の「ズレ」への耐性がないあまり)、
助けを求める手段としての親を手放してしまう状況を是正すべきだ、
ということだ。


親がいることのメリットよりも、
 それによって生じるストレスによるデメリットのほうが大きい

と多くの親が実際に感じている。

何故、ここまでストレス耐性がなくなったのか?
それとも最初からなかったのか?昔は我慢してただけか?
いや、それでも昔は「我慢が出来た」という言い方も出来る。

最初の段階でまず「親とは住まない」という選択が
為されてしまうようになってきたことと、
虐待が増えていることは相関していると僕は思う。


明確な根拠はないが、ストレス耐性のなさの原因として、
若者側の他者恐怖に裏打ちされた「自由主義・個人主義」が
他人に不可侵な領域を作っているからだと僕は考える。

「夫婦は親と住めばいい」と僕が言う時、
最早それを人々が選択しないことを知った上で言っていた。
多くの人がそれを望まないことに対する感情的な批判も含めて。

けれど、選択しないのではなくて、選択できないのかもしれない。
その場合、「耐性がないんだからしょうがない」と言われておしまいだ。

アロディニア。
本来なら痛みと感じないはずの刺激を痛いと感じてしまう。
そんな人に、刺激に我慢しろというのは、確かに解決ではなくて新たな問題でしかない。


だとするならそれこそ構造的問題で、
「夫婦が両親と住みたくなるように社会を作り変える」のが一つの手となる。
しかしそれは遠すぎる手だ。

家族の再興こそが最も困難かもしれない。

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2007年06月12日

アロディニア2

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(07/06/11)「アロディニア1」の続き。

親と一緒に子育てしたくない理由を某所で僕は尋ねたことがある。

そこで返ってきた答えを要約するなら、
親の時代に正しかった知識を押し付けられる
こちらが『今はこうなの』と説明しても納得してくれない」というものだ。
ここで具体例として挙げられていたものは、医学的なものばかりだった。
おむつを外すタイミング、乳児ボツリヌス症、乳腺症などなど。

僕はその話を聞いたとき、そんなものは知識を更新したらイイだけの話で、
あたかも夫婦の両親がそういう「医学的な更新」を受け入れないような
前提で話をされても…と感じた。そんなに融通の利かない人ばかりじゃないだろ、と。
そもそも親がリードするのはそういうところじゃないだろう?

昔子育てをした人は、医学的知識の更新を知らなくて当然なのだ。
けれど、「親の力」ってのはそういうところに還元されるのではない。
僕は医学部出身なので乳児ボツリヌスが
比較的新しく注意されるようになった病気だと知っている。
麻疹の初期症状だって知っている。熱性痙攣は無治療でいいと知っている。
けれどそんなこと知ってたって、子育てのうちの一部も一部なのだ。
(それは子育てをされた人たちが一番わかっていると思うが。)

僕は上記のような例を挙げられるたびに、
こんなことで親は否定されるのかという驚きを感じる。
新しい医学の知識を知らないことを理由に、親が否定されるのか?
その点で昔のやり方に親が拘るというだけで?
親が昔のやり方にどの程度拘るかなんて、
結婚するまでの数十年の間に分かりきってることで。


医学的な知識以外の部分でのメリットまで消えてしまうのか?

そもそもリードするだけじゃなくて、
単純に人手が増えるという点でも両親がいることには価値があると思う。
例えば、子育てに疲れたら両親に子どもを預けて息抜きできる。


しかし、僕の予想は完全に的外れだった。
家族の再興ほど難しいものはないのかもしれない。

話を聞けば聞くほど、僕の中にある思いが蓄積していった。

彼女達は「家族といることにもう耐えられない」のだ。

祖父母は(自分の祖父母であっても)、頼まれもしないのにああだこうだと口を出し、
自分たちを疲れさせる存在なのだ。

これは軽い衝撃だった。
何で母親を疲れさせるの前提なのか?
何で夫婦の両親をそこまで厄介者に捉えるのか?

もちろん、他者の存在はストレスを与える。
しかし、何故そこまで自分の空間に他者が入ってくるのに耐えられないのだろう?
親が医学的に間違ったことをそう言えばいいじゃないか。
説明したら分かってくれるだろう。…くれないのか?

ずっと一緒に暮らすのが嫌なら、子どもが生まれてから
1〜2年の間だけ同居するという選択だってある。
近くに住むという手だってある。


一つ前の日記にも書いたが、完全にうまく言っている家庭なんてまずない。
普通の家庭とは何か?一般家庭の大多数が「普通」だ。
普通は相対的な価値観であり、何がマジョリティであるかということを基本的には指す。
(ちなみに、「普通」「正常」「常識」といった言葉を嫌うのも
 今の流れだ。それこそが近代社会の宿命だけれど。)
定義不可能でありながら、存在するものが「普通」だ。

家族を個人に喩えるなら、誰だって、辛い思いをしたことはある。
人を殺したいと思ったことも自殺したいと思ったこともあるかもしれない。
悲しい思い出、人を信じれなくなるような経験、挫折、そんな出来事は個々人で抱えている。
その上で普通なのだ。家庭もそういうもんじゃないか?
(当たり前だが、僕は頭の中に、常に笑顔が耐えない円満な家庭を思い描いているのではない。)


「ストレスを感じるはずがない」といった楽観は僕だって持っていない。
しかし、ストレスというデメリットよりも
親がいることのメリットが大きいという価値観は持っている。


そして、多くの親は、この価値観に反発を示す。

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2007年06月11日

アロディニア1

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親の子に対する虐待事件が起こる度に思う。
どうして夫婦は親と住まないのか?
親の子育て経験を利用し、体力の落ちつつある親を世話すればいいじゃないか。

夫婦が「二人だけの自由な、誰にも邪魔されない世界」を望んだ結果、
生きにくさが増大する皮肉。
新しい夫婦に子育て耐性がないのは当たり前なのだ。


自立と孤立をはき違えて、自由と孤独をはき違えて。
親と一緒に住むことで、
逆説的に自由で自立するというかつての知恵を思い出すべきだ。


もちろん、どの家庭だって「完全に」夫婦関係や
親子関係がうまくいっていることなんてない。
しかし、「許容できるレベルに」普通の家庭は上手くいっている。
更に言えば「子はかすがい」的効果で両親の関係もよくなるかもしれない。


こう言い方をすると、
「こうすればよい。」などと一言で括れるものじゃない、と言われるかもしれない。

けれど僕は一般論を述べている。
「上手く行かないこともある」。そりゃそうだ。完全な解なんてあるはずがない。


こんな意見もある。
「子育てに最初から100点を期待するほうが間違っている。」

何故だろう?100点の基準がわからないが、
僕は少なくとも昔の家庭で得られていたくらいの子育てが、
どの子も受けられるべきだと思う。倫理的に。
父母の能力が足りないからこそ、その解の一つとして親との同居がある。
(もちろん、両親と同居できない「特別な事情」があるなら話は別だが。)

現在の構造的な問題は、あえて子育てが難しくなる方向に
若い夫婦が自ら進んでいることなのだ。
両親との同居を嫌がる人が増え、「二人の自由」の謳歌と引き換えに、
子育ての困難さを選択するようになった。


そういう人たちは、親を否定しがちだが、よく祖父母批判として、
「価値観が古い」、「頭が固い」という言葉が使われる。
本当だろうか?

子育ては親のファッションではない。
ファッションなら自分の好きな服を着ればいい。
しかし、初めて武道を習う人が、
師匠に対して「あなたは頭が固いから自分で型を考える」と言わないだろう。

年齢が大きくなれば話は変わるだろうが、
若年(例えば3、4歳くらいまで)の子育てについて、
自分の方が親に勝ると考えられる理由は一体なんだろう?

親を「子育ての師」として見れないこと自体が構造の根本にある。
(これは子育てに限らず、
 「年長者の経験に対する尊敬」が社会的に失われてしまったことが
 原因だと思うが、ここでは置いておこう。)


現代日本人は、能力が伴わない癖に自己評価が高い。
そして、そういう人間ほど自由を愛し、束縛を嫌い、
結果として他者の助けが届かない場所に行ってしまう。

繰り返すが、これは構造的問題だ。
それに対する処方箋は、共同体の再興と公的支援の充実などだが、
前者について言うなら、最も簡単に再興可能と思われるのが家族だ。



と、思っていた。

けれど、どうやら事態はもっと深刻だ。

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2007年06月09日

気になるニュース20

気になるニュース。

・「バナナでSARSに感染」、デマメールが中国で蔓延―海南省
・あらゆる抗菌剤が効かない結核菌、イタリアなどで検出
・JCが歴史教育アニメ 授業での上映依頼
・ローソンのエコバッグ配布、開始1週間の反応は?
・「音」で熱を電気に変える装置、米研究者が発明
・【正論】小田晋 凶悪事件の連鎖と精神保健



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2007年06月08日

気になるニュース19

気になるニュース。

・【季節風】“友達感覚”の行く末は
・「いじめ許さん」全員に体罰 辞表の先生、保護者が慰留 京都
・「知財推進計画2007」正式決定、ファイル交換ソフトからの複製禁止など
・臓器提供番組、実は茶番=オランダTVに批判
・スパム対策法で初の逮捕者は「最悪級」――迷惑メールの歯止めとなるか
・ロシア、国連の対北朝鮮制裁に賛同
・結婚で幸せに? 独身女性の4割「悲観」・日経ウーマン調査



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posted by あゆ at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月06日

お得意の不祥事

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また、TBS。
不祥事ごとに記事にします。潰れるまで。
1 :⊂●⊃,,人,,⊂●⊃@モリゾーφ ★:2007/06/06(水) 06:00:53 ID:???0
 ★日刊スポーツ 6月6日一面 

「ハニカミ王子」石川遼に、TBSが盗聴取材を仕掛けようとしていたことが分かった。同局情報番組、「ピンポン!」のスタッフが大会前日の3日、石川の同伴競技者に謝礼をちらつかせ小型マイクを装着してのプレーを依頼。同競技者が拒否し、未遂に終わった。さらにこの日、TBSはコース上空にヘリコプターを飛ばし、石川に急接近。プレーを中断した石川は74とスコアを2つ落とし、通算3オーバーの8位で予選を突破した。

遼君のプレー中のナマ声を録ろうと、TBSが“盗聴”を企てていた。
予選での石川の同伴競技者・広田文雄(43)によると、大会前日3日に同局の情報番組「ピンポン!」の番組ディレクターから長野須坂市の自宅に電話があった。

 広田「石川君の声を録るためにピンマイクをつけて、こちらが想定する質問をして欲しい。謝礼も払います」と伝えられました。当然、問題外の話と思って断り「そういうことは主催のKGA(関東ゴルフ連盟)の許可を得てからにして」と伝えました。私も競技者です。馬鹿にするにもほどがあります。

(>>2へ続く)


2 :⊂●⊃,,人,,⊂●⊃@モリゾーφ ★:2007/06/06(水) 06:01:07 ID:???0

関東アマは1938年スタートで日本アマにも通じる伝統ある大会。
広田は結果的に116位で予選落ちしたが、ハンデ9.9以内の出場規定をクリアした早大ゴルフ部OB。その競技者に「謝礼」というアマチュア資格に抵触する可能性がある働きかけをしたことにもなる。

◆カートにも・・・
同番組のディレクターは大会初日4日にも。KGAの加藤重正事務長を通じてキャディバッグを運ぶカートにマイクをセットするように依頼。加事務局長は「スタート直前でした。20代の男性ディレクターが『この組の声を録りたいのでこれをカートに積んでほしい』と言い、マイクを手渡そうとしてきた。もちろん『できるわけがない』と断りました」という。

TBSの“暴走”は続いてた。
この日は同局の報道番組、「イブニング5」が主催者に無断でコースにヘリコプターを飛ばした。石川が14番パー5で、2オン狙いのアドレスに入る直前には低空飛行を敢行。あまりの騒音に、石川はアドレスを外し、広田らと「うるさいですね」と不満を訴えた。仕切直した第2打はグリーン左の林へ。ナイスリカバリーでパーセーブしたものの、明らかな“妨害行為”となった。
石川は会見で「ヘリはそんなに気になりませんでしたよ。周りの人に『上は見るな。手を振るな』と言われましたけどね」と笑って見せたが、静けさを求めるゴルフ競技において、ヘリ取材自体が暴挙と言える。

◆抗議文を送る
同連盟は、大会終了翌日の8日に広報委員会を招集、TBSに正式に抗議文を送ることを決めた。加藤事務局長は「TBSは初日にもヘリを無断で飛ばし抗議をしたばかり。今日の件についても急いで確認します」と憤りを隠さなかった。

(※紙面一部をモリゾー記者書き起こし)

特に言うべきことはないです。


TBSの今までの不祥事書いておきますね。
+殿堂+ オウム真理教の坂本弁護士一家殺害を幇助
+殿堂+ 石原都知事の日韓併合発言で捏造テロップ
+殿堂+ 筑紫哲也が阪神大震災で「温泉街」発言
1991.06 損失補填事件(証券会社に6億5000万の損失を肩代わりさせる 
1999.07 芸能人乱交パーティーにアナ含むTBS社員複数参加事件
2000.11 ニュースの森、ニュース23で
旧石器捏造事件と全く関係ない 「 つくる会 」 を結びつけて報道
2001.07 TBSと北朝鮮による、身代金目的の共同謀議発覚
2002.07 神栖町ヒ素汚染問題で「旧日本軍の毒ガス兵器が原因 」と捏造報道。
2004.07 TBSが仲介業者に100万円を渡し、脱北者の支那にある日本公館への亡命を演出未遂
2006.03 ナヌムの家報道、NEWS23スポンサー不買運動
2006.04 大家族・青木家、あざみに数々の疑惑が浮上
2006.05 白インゲンダイエットで健康被害が続出、入院患者100人超
2006.06 ハイド議員の靖国発言を180度逆に超訳
2006.07 安倍晋三ポスターを731部隊の報道にカットイン
2006.08 亀田疑惑の判定で世界王者、抗議6万件超
2006.09 KUNOICHI収録中に女性が感電するも警察に届けず
2006.10 新キャスター・山本モナさんが民主・細野議員との不倫で降板
2006.11 世界バレー女子、6位・日本からのMVP選出に大ブーイング
2006.12 はなまるマーケットで便器破損の恐れがあるトイレ掃除法を紹介
2007.01 反則の柔道王・秋山成勲がヌルヌル&グローブ疑惑で失格処分
2007.02 頭のよくなる音・ハイパーソニック音で過剰表現・論文無断使用
2007.02 サンデー・ジャポンで柳沢発言を不適切編集
2007.02 華麗なる一族でサブリミナル?『公明党も非武装中立』
2007.03 桜庭選手に失望したとのネット掲示板の書き込みを捏造
2007.03 朝ズバッの不二家報道が事実と異なるとして総務省が調査
2007.04 サンジャポの街頭インタビューで同一人物が4回登場
2007.04 新SASUKEでブラマヨ小杉を含む5人の重軽傷者を出すも警察に届けず
2007.04 スポーツマンNo.1決定戦で金子昇が左手首骨折するも警察に届けず
2007.04 番組収録中に江口ともみさんがバギーから転落して腎臓摘出の大怪我
2007.05 NEWS23・憲法特集に出演していた女子大生が実は左翼活動家
2007.06 ハニカミ王子・石川遼に盗聴工作&無断ヘリ使用、福澤アナ涙の謝罪



マスゴミ。

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mixiの民度

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愛知の病院で実演手術の患者死亡、学会が調査報告

 愛知県豊橋市の循環器系疾患の専門病院「豊橋ハートセンター」で昨年9月、医師の研修を目的としたテレビ中継の実演手術をしている最中に、患者の容体が急変し、2日後に死亡していたことが5日わかった。

 日本心臓血管外科学会は調査委員会を設け、中継手術の運用指針案の作成を進めている。

 病院によると、昨年9月23日、愛知県内の男性患者(63)が、心臓に近い血管にこぶができる胸腹部大動脈瘤(りゅう)の手術を受けた様子が、神戸市内の会場に集まった医師らにテレビ中継された。しかし、手術の最中にこぶが破裂し、中継をやめて処置が行われたが、男性は2日後に死亡した。

 調査委員会では会場から執刀医に質問ができる形式だったことなどから、報告書で〈1〉見学の医師から質問が出たことで、執刀医の集中力を損なった可能性がある〈2〉ショー的な要素があったことが否定できない〈3〉運用指針作成の必要性――などを指摘。調査委員長の八木原俊克・国立循環器病センター副院長は、「技術や知識の普及は大切だが、ストレスのかかる難度の高い手術が中継に適しているかどうかを判断する基準などについて、慎重に考える必要がある」としている。

mixiではニュースに対して日記をトラックバックする機能がある。
つまり、そのニュースで(若い)日本国民がどんなことを考えているかを知ることが出来る。

読むたびに、日本は何て民度が低いんだと思う。

上記記事を読んでどう思うだろうか。
mixiの大勢を占める意見を挙げてみよう。
患者やその身内にOK取ってるんっすかね、これ(汗)
つーか、VTRでいいだろよ。常識的に考えて質問すべき場面とは思えないぞ。
人の命を何だと思ってるんだ!!

大学病院ってとこは、学生が突然「勉強」という名目で
突然どやどやと入ってくる所らしいですな。
勉強もいいですが、一応人権ってもんがあるんだし一言欲しいところです。

医療事故が色々問題視される世の中ですが、人間なんだしミスが無いわけはない。
ただ、それを隠し通そうとしたりする体勢が大嫌いっす。

実演手術だって!?人体実験ちゃうの!!

偶然タイムリーな話題になるが、知人が主治医から、「検査のモデルにならないか?」と依頼されているらしい。治験じゃなくて、研修医に見せるための教育ビデオのモデル。

友達は「顔は写らないし、無料で検査してもらえるかも!」と
喜んでたが正真正銘の病人だし、友達にとっても大切な検査。本当に安全か心配になってきた。人の命を実験台のショーにされてたまるか!

 手術中に執刀医に質問とかありえねぇだろ普通。しかも大動脈瘤なんて大手術で。何考えてんだ?

 生中継による公開手術で、多くの医師に技術の伝授が出来るというメリットはわかるし、普通に映像撮るだけなら問題ないと思う。しかし手術自体に直接影響が出るような干渉したらどうなるか、普通わかるだろうよ。人間のやる事だから絶対はないんだっていうのは、外科医が一番大事にしなきゃならん基本中の基本じゃないのかよ?

手術中に質問?w
今の医療現場はキチガイぞろいなのか?w誰か止めろよw
それとも結構あることなのかこれ。普通の質問より、カメラで撮られてるということで、あがってしまったんだろうな。人の命を扱ってると考えられんのか?遺族はガンガン訴えるべきだろこれは。なんか、治療費だけ高いくせにやってることはカスってどういうこったよ。医療とか安全とか生活環境はやばくなってんだけど、それを意識してる人間がどれだけいるのか・・・税金だけはどんどん上がってるのにw

これが日本人のレベルなのか?
それとも、論理的思考が出来ない人間がmixiに集まる
(もしくはmixiでニュースにトラックバックする)のか?

あまりに反射的反応だ。
そもそもmixiのニュースと言うのは、全文掲載されない。
実は上記記事の元ソースには、以下の文章が続いている。
 これに対し豊橋ハートセンターの大川育秀・副院長は、「心臓血管外科の第一人者といわれる医師が執刀しており、実演手術との因果関係はないと信じている。手術の危険性については事前に患者に説明して納得してもらっていた。あくまで医師の研修を目的とした実演手術で、ショー的要素はない」と話している。

元ソースを当たるだけでも印象が少し変わるだろう。
でも、こういうことも出来ないのかな…。


この件に関して数少ないまともな意見をmixiから拾ってみる。
疾患と術式を考えたら、破裂はトラブルとしては想定内でしょう。
そこからどんだけリカバーして最終的に成功させるかも大切であって…。
2日後に死亡とのことですけど、死因はなんだかわかりませんね。
術中破裂したこと自体が直接の死因なのか、
他の合併症があったかさえわかんない記事内容です。
「生中継→ミス→亡くなった」
こういう理解が多いでしょうし、記事からはそう読めますというか、そういう風に書いてますけど、真相はわかんないです。
生中継しようってんだから、腕におぼえがある医師が執刀した事は容易に想像できます。
ヘタクソはわざわざ見せないよ。
逆に、そういうゴッドハンド的な医師でも破裂させちゃうほど
難しい症例であったということも考えられます。
単に『ショーをしていたのが悪いんだ!』ではなく、術中破裂と死亡との因果関係の検証や、どれくらいのベテラン医であったか、生中継であったことと術中破裂との因果関係はどれくらい認められたか、なども考えないとね。

この意見を書いた人は医学関係者の可能性があるのだが、
大動脈瘤が破裂するなんて、手術ではありうる事態だ。
そもそも胸部大動脈瘤の手術死亡率(術後30日以内の死亡率)は10%近くある。

重要なことは以上のような危険性を素人が知っていることではない。
知っていないことを知っていることだ。
医学に関係のない私は、大動脈瘤の手術の難易度も、破裂の可能性も知らない
ということに対する謙虚さだ。

公開手術は通常患者の同意の元で行われます。しかも、公開されるという事は、ミスをすれば証人が沢山いるわけですから患者としても安心なわけです。質問も術式に対して他の医師がおかしいと思ったから質問をするわけです。公開して上がってしまう医師はそもそも公開しません。
治療費高いですか?医療でかかっているお金を考えれば格安なんですよ。実は。

真っ当な意見だ。
上で「常識的に考えて」とか言ってる奴がいるけど、
常識的に考えて、これだけ人権が叫ばれてる時代、患者の同意を取ってるに決まってるだろ。

そして実はこのニュース、以前テレビで放送されている。ちなみに手術自体は一年前の話。
 テレビの番組でした事を、さらに、ニュアンス変えてニュースにするなよ…。調査委員会も遅すぎるだろ、もうすぐ亡くなられて1年だぞ。そもそも、この手術、通常の医師なら成功する確率の方が低い、かつ、この方のは年齢となんか他のところにも問題があって30cmくらい大動脈を人工血管にしなきゃいけなかったはず…

 難しい手術を経験浅い医師(もしくは専門外の医師)にやらせるわけにはいかないから、こういった中継で実際に見せるのは効果的だろう。やり方に問題があったかもしれないが、この医師は、ものすごい時間なんとか助けようと必死だった。

僕も含めて、医学関係者の多くはこの記事を読んだ時、擁護的だと思う。
中継したことや、医師に対して。

そもそも、中継してなくても、術中に話すなんて普通にある。
学生が見学するのもよくある話で、
先生から「この血管は何?」みたいな質問が来ることもよくある。
そして難しい局面ではお互い自然に黙る。これが日常なのだ。


ヒステリックな反応が日本人、いやmixiでは多すぎる。
あまりにものを考えず、感情的に反応している。
これは、例えば今回の件で言うところの「医学を学んでいるかどうか」などといった、
プロフェッショナリティの有無に起因する問題ではない。
もっと、純粋な、メディアリテラシーと論理力・想像力の問題だ。
であるからこそ、
民主主義国家において問題は深刻だ。

何故なら、エリート(ここでは賢い人間)が、
国民への説明を「諦める」という選択をするようになる。
今の政府のように。そして僕はそれに同情的だ。(正しいといっているのではない。)

これを止めるには教育とメディアの質を上げるしかない。

mixiを見ていると本当に暗澹とした気持ちになる。

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2007年06月05日

ペッパーランチ事件

ペッパーランチ心斎橋店 女性客拉致監禁強姦強盗事件。
「続きを読む」に詳しい内容あり。知らない人は一読を勧めます。
メディアの報道があまりに少ない。


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posted by あゆ at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

DoCoMo!

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僕はDoCoMoが好きだ。
とても日本人的だ。auのオシャレさに憧れ、嫉妬し、追いつけないDoCoMoが好きだ。
堅実さ、既に大きなシェアを占めているという事実、
それに安住できないという危機感と新参への警戒、
若者の取り込みが必要だと感じながらそこに身を投げられない、
投げても上手く行かないもどかしさ。
若者の「感性」とやらとリンクできるのは、自分よりシェアの低い会社なのだ。

DoCoMoのCMの背伸び感が好きだ。
なりきれない感じ、中年が若者にどうにかして共感を得ようとする感じ。
そこには、学校の教師が生徒を怒れないような自己保身的卑屈さとは違う、
眺めて微笑ましくなる必死さのようなものがあった。
それが必要に迫られてであったとしても、
「硬さ」という自己規定からの脱却には、試行錯誤の青さがあった。

大前研一にこきおろされた 「そろそろ反撃」ドコモCM 2007/6/ 1

NTTドコモがテレビで盛んに流しているCM、「そろそろ反撃していいですか?」の評判が悪い。評論家、大前研一さんは自身のブログで、経営者の視点から「私がドコモの社長なら、今回の広告を作った人を解雇する」とまで言い切っている。毎日新聞もユーザーの視点から、「端末の機能やサービスの説明が消費者に伝わっていない」と批判的に書いている。個人のブログを検索しても評判は最悪なのだ。

「今回の広告を作った人を解雇せよ」

番号ポータビリティ実施後に「一人負け」となったドコモが、巻き返しを図るため「ドコモ2・0」をキャッチフレーズに作られたのがこのCMだ。ライバルの「au」のCMに出ていた俳優を含む人気のタレント8人を起用し、CMの本数は前年の3倍という力の入れようなのだ。「ドコモ2・0」のケータイ「904i」シリーズは07年5月25日に発売されたが、CMの評判はというと、かんばしいとはとてもいえず、毎日新聞は2007年6月1日付でドコモのCMに対する疑問を投げかけた。

「若者受けする『新しさ』『カッコ良さ』を前面に押し出す戦略だが、携帯利用者からは『イメージ先行で分かりにくい』という声も漏れる」
こうしたCMが生まれた背景については、「ドコモのイメージを壊したい」との気持ちが「攻撃的」なものになってしまったため、本来のイメージを消費者に伝えられなかった、と分析している。

大前さんにいたってはさらに厳しい。ブログ「ニュースの視点」07年5月18日付けで、こんなことを書いている。

「ドコモの経営陣は、このタイミングで経営者としては絶対にやってはいけないマーケティング上の重大なミスを犯しました」
それが、「そろそろ反撃してもいいですか?」のキャッチコピー。業界他社に反発し打ち負かすことだけを考えるのを、経営学では、「コンペティティブ・リタリエーション(競合反発)」と呼ぶらしいが、それに該当するのだという。この挑戦的なキャッチコピーで、消費者は「値下げするのかな?」と思い、結果、消費者の買い控えを引き起こす。

「つまり、大々的な広告は打ったが、買う人はいなかったという最悪の結果につながる危険性が高いと私は思います」
それはドコモだけでなく、業界全体に影響が出るとし、

「もし私がドコモの社長なら、今回の広告を作った人を解雇するでしょう」

と噛み付いている。

「皆様が、お感じいただいた通りに取って良い」

ブログではどんな反応なのか。07年6月1日に書かれたものを検索すると、やはり批判的な記事が並んでいた。

「『そろそろ反撃してもいいですか?』って?勝手にしてください(笑)」
「新機種にどんな機能がついてるか全くわからない」
「あのCMはウザい!金かけりゃいいって感じで印象が悪い」
「でも、あのCMにはちょっと夢中ですわ〜。光一くんも出て欲しかったくらい。まぁ、ドコモに変えようとは思わないけどね〜〜」
「CM制作者を呼んで問い詰めたい。CMという作品の向こうに全然顧客を見ていないぞと」
批判をしているブログに共通しているのは、「ドコモは何様?」。巨額の宣伝費を使って、新製品をアピールしているが、上から目線の自己満足感が漂い、けたたましく、消費者を無視しているようで鼻につく、という感じだ。
一連の批判にドコモはどう受け止めているのだろうか。ドコモ広報はJ-CASTニュースの取材に対し、

「あのCMは数多いプロモーションの一つ。仮にその一つにブーイングがあったとしても、総合的にはどうか、ということもあります。このCMに限ったことでなく、(批判する)皆様が、お感じいただいた通りに取っていただいて良いと思います」
と話す。「一人負け」でも依然トップシェアの「王者」は、余裕だった。

あのCMで買い控えなんて起こるか…?

僕はあのCMが好きだ。
DoCoMoという携帯電話の過半数シェアを誇る大御所が、
負けを認めた瞬間だった。
既に経済界では認識されていた番号ポータビリティー制度における一人負けを、自分で語ったのだ。
言語化されていないが、明らかにそれが意識されている。
巨匠が若手に遅れを取っていることを認めるのには、
自分のプライドを一度横に置かなくてはならない。
それこそが「反撃」という言葉であり、挑戦者へと身を戻すことを表象する。

そして更に、「負けた」という潔さの裏にある嫉妬や羨望が透けてもいい、
いや透けた方がいいという戦略を取っている。
今までと違うCMの雰囲気とauのCMに出ていた俳優の起用により、
CMの「au化」を図っている。

僕が好きなのはその奥だ。
ああ、全部ひっくるめて、DoCoMoは自分に自信がないのだ。
その上で動こうとしているのだ。いいじゃないか。
堅実が感性に憧れるという状況は、僕の心に共鳴しやすい。


>「新機種にどんな機能がついてるか全くわからない」
>「CM制作者を呼んで問い詰めたい。CMという作品の向こうに全然顧客を見ていないぞと」


こんな意見あるんだw
つか、どんな機能がついてるか分からないようにしてるわけで、だとすればCMは成功では?

これは若者戦略だ。若者のうち、興味のある人は公式サイトに行ってHPで調べる。
(ちなみに、HPに行けば新機能だけでなく、何故あの8人なのかが分かる。)
また、直接的でなくても買った人からクチコミ、インターネットを介して拡がっていく。
「機能の分からなさ」は、「若者メディア」による自然な拡散を狙っている。

そして、二つ目の意見も驚き。
一つ目とも関わるのだが、僕は久しぶりにここまではっきりした主張のCMを見たと思っている。
DoCoMoは、「新機能の商品」ではなく、「新DoCoMo」を売っているのだ。
商品ではなく、会社レベルでの意思疎通を図ろうとしている。

消費者の方に向いていない?まさか!
如実じゃないか。
負けたんだという開き直り、auへの羨望、劣等感、そこからの脱却意志。
こういう会社だって消費者に分かりやすいじゃないか。

>「一人負け」でも依然トップシェアの「王者」は、余裕だった。
「余裕っぽく見せてる」のが伝わらないのか…?


最後に、ネットで調べた新機能を書いておこう。
・小さくスタイリッシュなカラー・デザイン。
・「2in1」。一つの携帯に二つの電話番号とメールアドレスを入れられ、ボタン一つで切り替わる。
・左右に二回振るとメールの本文が見れる。上下・前後に2回振ると音楽が選曲できる。
・画面のタテをヨコにするだけで、ヨコ向きの画面に切り替わる。
・「かたむける」「ふる」「かざす」「体を動かす」ことで操作・ゲームできる。
・長時間・大画面・高画質動画再生。
 (アーティストビデオクリップをそのまま取り込み、自由に再生。)
・携帯でクレジットサービス。タクシー・コンビニ・飲食店全国150000ヶ所。
・携帯でネットオークションが出来る。
・うたホーダイ(月定額でダウンロードし放題、聴き放題)。2〜3日充電なしで音楽再生。
・ラジオも聴ける。



あのCMは商品の紹介ではなく、会社性格の紹介であり、目的を達している。故に僕は評価する。
「『余裕っぽく見せてる』と伝わってもいい」というスタンス自体に含まれる青さが好きだ。


ラジオ聴けるってスゴス!

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