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2007年06月30日

原爆、慰安婦

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最初に、慰安婦問題のまとめを置いておきます。
ネットでは既に有名な動画です。


ここから久間発言について。
「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演(06/30 13:37)

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。

 米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。

 また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べた。



原爆で終戦早まる、「しょうがないな」と久間防衛相

 久間防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米国が広島と長崎に原子爆弾を投下したことで昭和戦争の終戦が早まったと指摘した上で、「間違えると北海道までソ連に占領されていた。原爆も落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理でしょうがないなと思っている」と述べた。

 米国に対しては、「勝ち戦と分かっているときに原爆まで使う必要があったのかという思いがするが、アメリカは恨んでいない。国際情勢や占領状態からすると、そういうことも選択としてあり得る」と語った。

 久間氏は講演終了後、発言の真意について「当時の日本政府の判断が甘く、終戦が遅れるとソ連に占領されていた可能性があったことを指摘しただけだ。原爆を肯定したわけではない」と記者団に説明した。

(2007年6月30日19時3分 読売新聞)



久間防衛相:原爆の発言、あまりに非常識…原水協が抗議

 久間章生防衛相が講演で米国による原爆投下について「しょうがない」と発言した問題で、原水爆禁止日本協議会の高草木(たかくさき)博事務局長は30日、「残虐行為の惨状を経験した国の閣僚として、あまりに非常識」として、発言の取り消しを求める抗議の談話を発表した。【木村健二】

毎日新聞 2007年6月30日 19時14分


【政治】久間防衛相「アメリカがやったのはしょうがないと言っているわけではない」 野党側は一斉に強く批判

1 :春デブリφ ★:2007/06/30(土) 19:17:20 ID:???0
 久間防衛大臣は30日の講演で、アメリカが第二次世界大戦で広島と長崎に原爆を投下したことに触れ、「あれで戦争が終わったんだなという頭の整理で、しょうがないなと思っている」と、原爆投下に理解を示したとも受け取れる発言をしました。
 長崎出身である久間大臣は30日、講演の中で、第二次世界大戦でアメリカが日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落としたことが、日本を無条件降伏させ、ソビエトによる北海道侵略を防いだという見方を示しました。
 その上で、「原爆が長崎に落とされて悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだなという頭の整理で、しょうがないなと思っている」として、原爆投下に理解を示したとも受け取れる発言をしたものです。

 久間大臣は講演の後で、JNNの取材に次のように説明しました。
 「私は原爆も核兵器も廃絶、絶対、あってはいけないと思っているわけですから。日本が被害を受けてしまったという、そういう歴史を振り返って見た時に、そういう事実関係はしょうがないと、それをそのまま受け止めざるを得ないという意味なので。アメリカがやったのはしょうがないと言っているわけではない」(久間章生 防衛相)

 一方、野党側は一斉に強く批判しています。
 「防衛大臣として全くふさわしくないというか、あるまじき発言だと」(民主党 菅 直人 代表代行)
 「場合によっては、これは当然、罷免要求というところまでいく話ではないのかなと」(国民新党 亀井久興 幹事長)
 「被爆国の閣僚として失格だと思います」(共産党 志位和夫 委員長)

■ソース(TBSニュース)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3598434.html

もちろん、アメリカが日本に原爆を落としたのは終戦のためではない。
ソ連に対する「見せつけ」の面が大きい。

これはアメリカの軍人も認めるところだ。以下2chより。
「アメリカは1945年初め、連合国が無条件降伏を主張しないならば、日本には終戦の用意があることを実際に知っていた」
  アルバート・C・ウェデマイヤー将軍

(最後まで戦えば)「莫大な数のアメリカ国民の命が失われ、それより少ないがイギリス国民の命も失われる(日本の)条件付降伏を認めるべきだ」
  イギリス首相ウィンストン・チャーチル

「天皇を守れるような条件付降伏さえ認めれば日本は降伏する」  
  グルー国務長官代理

(原爆は)「軍事的に見れば全く不必要だ」
  ダグラス・マッカーサー将軍

「空と海からの完全封鎖と条件付降伏があれば日本本土上陸の必要すらない」
  ウィリアム・レーヒ提督

「原爆はまったく不必要、アメリカ国民を救う手段としてもはや不可欠でなくなった」
「アメリカがここまで恐ろしい兵器を最初に使う国にならないよう望んでいる」
  ドワイト・D・アイゼンハワー将軍

上記のことをアメリカの政治家は認められない。
原爆投下は彼らにとっては触れてはいけない(正当化できない)タブーだ。
タブーであるが故に「仕方が無かった」という。


以上のように、僕は原爆はいかなる理由でも正当化できないと考えている。
民間人の大量虐殺なのだから。
故に久間の意見にはもちろん反発を覚えるのだが、問題は参院選前だということだ。

選挙前になるとメディアはとにかく自民を叩き、民主を持ち上げる。
今までにそれは何度も繰り返されてきた。
今回もそれを疑ってしまうのだ。
会見場での文脈がないと分からない。メディアは信じれない。

そもそも、自民党というのは歴史認識においてはもっとも保守的な政党であり、
久間も当然原爆投下の経緯を知っている。その上防衛相だ。
もし上記発言が本当であれば、発言の内容そのものよりももっと大きな問題が浮かぶ。
「何故、今この時期に、騒がれると分かっていることを言ったのか?」だ。

久間が原爆を「心から」仕方ないと思っているとは考えにくい。
そこまで政治家はバカではない。
ただ、何が、彼にそのような台詞を言わせたのかが分からない。


NHKの会見では、以下のように久間は述べている。
原爆を、落とした落とされたっちゅうのは、もう返す返すも残念だし、あんな悲劇が起こったっちゅうのはですね、取り返しのつかないことになったわけだけど、しかしそういう歴史を振り返ってみたら、あのとき、こうしとけばというそういうもう後悔してもしょうがないわけだし、とにかく、今思えば、アメリカの選択というのは、まあアメリカから見ればしょうがなかったんだろうと思うし、私は別に、アメリカを恨んどりませんよ、というような、そういう意味で言ったんですよ。そのしょうがないと言う言葉が、どうもね、アメリカの原爆を落とすのをしょうがなかったんだということで是認したように受け取られたっていうのは、まあ非常に残念ですけどね

僕が引っかかったのは次の台詞だ。
>アメリカを恨んどりませんよ

これには反発を覚える。日本人は「マナーとしての反米」でなくてはならない。
そして記事の台詞は他の記事と違い、
久間がどう取り繕っても正当化できないように思われる。
「原爆を正当化しないが、アメリカとしては合理的理由があった」という立場なら
まだ理解できるが、「恨んでいない」という台詞はこれを否定してしまう。

分からん。何故こんなことを言ったのか。憤りの前に、?マークだ。
安倍政権を嫌うアメリカの駄目押しか?


ところで中韓は原爆投下を「アジア開放の役に立った」と支持してるわけだが、
今騒いでる左翼はこの意見をどう思うんですか?

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2007年06月29日

『あるスキャンダルの覚え書き』『ゾディアック』『きみにしか聞こえない』

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最近観た映画。

あるスキャンダルの覚え書き

映画にはいろんなジャンルがあるが、その一つに
『日常の中で少しずつズレが表面化していく系』がある。
そのような映画では、他のジャンルの映画に比べて人物の心情を追うことが重要だ。
『あるスキャンダルの覚え書き』では、二人の主人公のどちらにも感情移入できる。
ある人は老いたストーカーに、ある人は若い(少しおバカな)女教師に共感を覚え、
追う側に理解を示し、追われる側の恐怖を見守るだろう。

「他者を救っている」という優越感、しかも両者にそれが共有されている状況が、
一人の人間を追い詰めていく。
が、それと同時に、正当化を続ける追う側も、喪失の危険性を膨らましていく。
本当に依存しているのは、どちらかと言えば…。


ゾディアック

アメリカの連続殺人鬼、ゾディアック。
wikipediaにはこうある。
ゾディアック(Zodiac)は、アメリカ合衆国の連続殺人者。1968年から1974年のサンフランシスコで警察が確認できた被害者5名を殺害。現在も犯人不明のまま、事件は解決されていない。1990年代には、ニューヨークでこの事件を模倣した連続殺人が発生した。以後ゾディアックは連続殺人の代名詞にもなる。

ゾディアックは、暗号文を警察に送りつけ新聞に掲載させ、指紋を現場に残し、
報道番組に電話で生出演した。
典型的な劇場型犯罪であり、映画の前半は謎解きに費やされる。
当時の人間が怯えながら熱狂したように、映画館の観客にとってもスリリングで楽しい。
しかし僕達は事前情報で「未解決事件である」ことを知ってしまっているので、
最終的に捜査が行き詰ることを知っている。
映画としてはどうオチをつけるのかと思っていたら、
後半は事件を捜査する警察官や記者の人間模様に中心が移っていき、
やはり、捜査が進むスピードは鈍っていく。

けれど、まさにこの密度の低下こそが劇場型犯罪の行く末であって、
映画は正しい。僕達が映画内事件を退屈に思うように、
70年代のアメリカ人も退屈して、飽きてしまったのだ。
そこでは事件ではなく「事件の周辺事態」しか語るべき内容がない。

ちなみに映画では、犯人が誰かをほぼ断定する形で終わる。
これは素直に褒めたい。


きみにしか聞こえない

乙一原作小説の映画化。原作とは色々違う点あり。
公式サイトのストーリーの最初を抜粋。
 わたしは相原リョウ、両親と妹と横浜の高台に住んでいる。内気で友だちのいないわたしはケイタイも持っていない。でもある日、公園でおもちゃのケイタイを拾う。翌日、保健室で休んでいると着信音が鳴って、若い男の人の声が聞こえてきた! こうして、わたしとシンヤさんは、つながった。長野でおばあさまと暮らしているシンヤさんは、この春に高校を卒業して、今はリサイクルショップで働いている。すぐにわたしたちは、ケイタイがなくても〈電話〉できるようになる。

テレパシーのような形で会話できるようになった二人は恋心を募らせていく。
「私にはこの人しかいない」という思いは基本的に恋愛の中核となるが、
この二人の恋愛においては、「コミュニケーション可能な人間がこの人しかいない」という、
社会既定性を持っている。
片方には友達がおらず、片方は耳が聞こえない。
脳内テレパシーは「私はひとりだ」という思いを持つもの同士の、共依存を作り出す。

共依存の行き着く先は二つだ。
一つは、「世界にはこの人しか信じられる人がいない」と閉じる場合。
もう一つは、「この人は信じられる。だから世界はクソじゃないのかもしれない」と
開いていく場合。
共依存による信頼穣成が周囲の世界にも適応されること。
これこそが恋愛の効用の一つだろう。

脳内テレパシーは一時間の時差を持って行われる。
ここにはタイムパラドックスの生まれる余地があり、もちろん悲劇回避の物語が生まれる。
手話のシーンはちょっとクドさが残るが、「耳が聞こえない」「口がきけない」という設定は、
「タイムパラドックス物」と組み合わさり素晴らしい演出を生む。これは新しい。

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2007年06月28日

慰安婦問題

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面倒くさいけど触れないわけにはいかないだろう。
米下院委、慰安婦決議案を可決・本会議では7月中に

 【ワシントン=丸谷浩史】米下院外交委員会は26日午後(日本時間27日未明)、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で、日本政府に責任を認めて謝罪するよう求める決議案を一部修正のうえ賛成多数で可決した。

 米下院は来月中に本会議でも採決する見通しだ。議会の主導権を握る民主党のペロシ下院議長は採決に強い意欲を示しており、採決になれば可決の公算が大きい。日本側の今後の取り運び次第で問題が大きくなる可能性がある。(07:02)

要旨は以下の通り。
一、慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ。

 一、現在の日本にはこの問題を軽視しようとする教科書もある。慰安婦問題で謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を否定する世論もある。

 一、日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定の要。政治的、経済的自由の促進、人権、民主主義の尊重という価値観の共有に基づいた同盟であり続ける。

 一、第2次大戦中に日本軍がアジア太平洋地域を支配した時代に行った従軍慰安婦問題について、公式声明で首相が謝罪すれば今後、この問題が再燃するのを防げるだろう。

 一、日本政府は、日本軍が女性を性的奴隷にしたり人身売買に加担したことはないという主張の誤りをただすべきだ。

 一、日本政府は現在および将来の世代にこの恐ろしい犯罪を伝え、元慰安婦に対する国際社会の声に配慮すべきだ。
ああ、あまりに下らない。アメリカの言論レベルの低さが露呈しただけだ。
反対した二人も、「既に謝っているから」という理由なのだ。
違うだろ、「謝る必要が無いから」だろ…。

「河野談話の白紙撤回を求める署名サイト」
http://kounodanwa.com/


日本人は河野談話がどれだけの害悪か認識した方がいい。
池田信夫のブログに分かりやすい記述がある。
((あゆ注)河野談話が出された)当時、韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診しており、石原氏は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、強制性を認めることを談話の発表前に韓国側に伝えたという。

石原氏は、別のインタビューでは「韓国まで元慰安婦を探しに行って訴訟を起こさせ、韓国議会で証言させて騒ぎをあおった弁護士」の動きに怒りを表明している。これは、私も書いた福島瑞穂氏や高木健一氏のことだ。要するに、日本人弁護士の起こした騒ぎに韓国政府が対応せざるをえなくなり、その立場に配慮した宮沢政権が政治決着として出したのが河野談話だったわけである。


この問題は、日本人の左翼が引き起こした問題だ。
今僕達はその責任を背負わされている。

この決議が採択される前、日本の議員がワシントンポストに全面広告を出していた。
【慰安婦問題】「政府・軍の強制は無かった。慰安婦は売春婦で、将官より高収入」…日本議員らが米WP紙に全面広告 [06/15]
1 :犇@犇φ ★:2007/06/15(金) 02:28:42 ID:???
■日本の議員ら、「慰安婦強制は無かった」とWP紙に全面広告

日帝従軍慰安婦問題に対する日本政府の謝罪を求める決議案が米下院で審議中のなか、日本の議員約40人が14日、ワシントンポスト紙に全面広告を出し、慰安婦動員における日本政府や軍隊の強制は無かったと主張した。

自民党・民主党及び無所属の議員45人は、教授・政治評論家・ジャーナリストらと共同で出した「事実(THE FACTS)」というタイトルの広告の中で、日帝当時に日本政府や軍が慰安部動員に介入したという文書は見つかっておらず、「日本軍が若い女性たちを性奴隷になるよう強いた」というマイク・ホンダ議員の決議案の内容は歴史的事実と異なる、と反駁した。

日本政府と軍は当時むしろ、女性を拉致して慰安婦にしてはいけないという命令を下しており、女性を慰安婦にしたブローカーらが警察に摘発されて処罰されたという韓国メディアの報道まである、と広告は指摘した。

それでも一部の軍人が規律を破って女性たちを捕らえて売春行為を強要したケースがあり、インドネシアでオランダ人女性らが連行されて慰安婦にされたのはその代表的な事例だが、関連者は後で全員重罰に処せられた、としている。

日帝慰安婦は通常「性奴隷」と描写されているが、実際は許可を受けて売春行為をした人々で、大多数の収入は日本軍将校や、場合によっては将官よりも多かった、と広告は強調した。

また、このような売春行為は当時全世界的に普遍的なことであり、米軍も1945年の日本占領以後米兵による強姦を防ぐため衛生的で安全な「慰安所」の設置を日本政府に要請した、と付け加えた。

米議会に提出された決議案など慰安婦問題に関する主張の大部分は生存者の証言に基づくものだが、慰安婦のお婆さんらは当初は「ブローカーに連れて行かれた」と言っていたのに後になってから「『警察のように見える制服』を着た人によって拉致された」と主張するなど、証言に一貫性が無い、と広告は述べた。

したがって、今年4月末にワシントンポスト紙に掲載された「慰安婦に関する真実」という広告は決して事実ではない、と広告は主張した。

そして末尾に、「 悲しいことに第二次大戦中に多くの女性が極度の苦難に遭ったことは極めて遺憾」ではあるが、「同時に、若い女性を性奴隷にしたという20世紀最大の人身売買事件の一つを日本軍がやらかしたという下院決議案は、重大で故意的な事実歪曲である」と強調した。

また、「実際に起こったことに対する批判は謙虚に受け入れるべきだが、根拠の無い中傷や名誉毀損に対して謝罪を行えば、大衆に歴史的事実についての誤った印象を与えるのみならず、日米親善関係にも悪影響を及ぼすおそれがある」と強弁している。

日本の議員や教授らによるこのような広告は、米下院で審議中の慰安婦決議案の通過を阻止するための多角的な努力の一環と見られる。しかし、日本議員らのこのような広告内容は、アメリカ国内の歴史教科書を初めとする各種の慰安婦関連記述に反するのみならず、太平洋戦争当時の従軍慰安婦動員の過程で日本軍と官吏が関与したことを認めて謝罪した1993年の「河野談話」を受け継ぐとしている日本政府の公式立場にも反することから、論難が予想される。<後略>

▽ソース:聯合ニュース(韓国語)(2007/06/15 00:37)

この記事について、「逆効果だった」「採択を決意させた」という意見がある。
しかしこの記事は圧倒的に正しいのだ
何も言わなければ、相手の言っていることを認めることになる。
今こそこの記事を強く支持しなくてどうする?
(実際に欧米の新聞ではようやく両論併記になったようだ。)

記事で反論したから相手が意固地になった」?本当か?
もし仮にそうだとしてもいいんだよ、それで。何も言わないよりはるかにマシだ。
譲れないものは譲れないのだ。

ただ悲しいかな、アメリカ人の民度があまりに低い。


ちなみに、同時に中国非難決議案が可決されている。
台湾、ウイグル問題でも決議案可決 米下院外交委

 【ワシントン=山本秀也】米下院外交委員会は26日、台湾要人の訪米規制撤廃や、ウイグル人女性人権活動家の親族釈放を求める決議案を可決した。外交委は同日、慰安婦問題での対日非難決議案を可決したが、中国に対して刺激的な2決議案も同時に処理された形だ。

 台湾要人の訪米については、民主的に選出された総統を含めて訪米規制を撤廃し、閣僚級の交流を全面的に進めるよう連邦政府に求める内容。ウイグル問題では、在米の著名活動家、ラビア・カーディル氏の子供が中国で投獄されている問題で、身柄の即時釈放を中国政府に要求している。

 慰安婦決議案と同じくいずれも法的な拘束力はないが、台湾独立系のロビー団体やラビア・カーディル氏は同日、決議案の採択を「歓迎する」とのコメントを発表した。

こっちは正しいな。

前の日記でも書いたが、慰安婦問題自体がアメリカの外交カードの可能性がある。
しかし、そうであろうとなかろうと、日本は繰り返し正しいことを言い続けるしかない。
それが外交カード化を防ぐことにも繋がる。


最後に、病気のような文章を。朝日新聞の社説。
慰安婦決議―首相は深刻さを認識せよ

 「日本政府は……歴史的な責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきだ」

 米下院の外交委員会が、旧日本軍の慰安婦問題についての決議案を可決した。39対2の圧倒的多数だった。7月にも本会議で採択される見通しだ。

 日本が過去の過ちを反省していないと、米議会が国際社会の面前で糾弾している。その意味は重い。

 私たちは、首相の靖国神社参拝や慰安婦など歴史認識がからむ問題に、政治家が正面から取り組むべきだと主張してきた。戦前の行動や価値観を正当化するかのような言動は、日本の国際的な信用にもかかわることだからだ。

 それがこんな事態に立ち至ったことに、やりきれない思いである。日本がそんな国と見られているのかと思うと残念であり、恥ずかしい。

 決議案に疑問がないわけではない。歴代首相が元慰安婦におわびの手紙を出してきたことが触れられていないし、軍の関与を認めて政府として謝罪した河野談話の位置づけも不十分だ。

 しかし、決議案にあるように、河野談話を批判したり、教科書の記述を改めたりする動きがあったのは事実だ。慰安婦の残酷さを非難する決議案のメッセージは、真摯(しんし)に受け止める必要がある。

 今回、決議案が採択の方向となったことについて、戦術的な失敗が指摘されている。今月、ワシントン・ポスト紙に決議案に反論する意見広告が掲載された。それが、沈静化していた問題に再び火をつけたという批判だ。

 確かに、40人あまりの与野党の国会議員とともに、安倍首相のブレーンの外交評論家まで名を連ね、決議案を「現実の意図的な歪曲(わいきょく)」などと批判した全面広告は異様だった。4月の初訪米でおわびを述べた首相の言葉は台無しになったと言えるだろう。

 だが、問題の本質は、自らの歴史の過ちにきちんと向き合えない日本の政治自体にある。

 安倍首相は「米議会ではたくさんの決議がされている。そういう中の一つ」「コメントするつもりはない」と述べた。とんでもないことだ。日本に重大な疑念と非難が向けられているのである。河野談話やアジア女性基金などの取り組みを説明し、改めて認識を語るべきだ。

 首相は日米同盟の土台として「共通の価値観」を強調する。だが、決議案はその価値観にかかわる問題であることを、首相は分かっていないのではないか。

 日本は戦後、自由と人権を重んじる民主主義国として再生し、侵略と植民地支配などの過去を深く反省した。「過去の反省」が揺らいでいる印象を与えれば、価値観への疑念を招く。

 小泉前首相の靖国参拝以来、日本の歴史への取り組みに対する国際社会の目は厳しい。日本の民主主義は大丈夫なのか。今回の決議案はその警告として受け止めるべきである。

もう新聞じゃねえなww

恥を晒すなアメリカ!

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2007年06月27日

今から

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最初に夜勤の愚痴。

今月は二人で一つの「台」(機械)を動かした。
僕は大体一日で36000〜40000処理する(何をかはここではスルーで)のだが、
パートナーの人は、僕が来る前日、12000だったらしい。

で、そのパートナーと二人で一緒に仕事をして、
休み時間に入る前に4000処理してたわけですよ。
そこでパートナーが言う。「今日は順調に入ってますね!

ここでは5000入れてたいんだよ。
遅いのはいいからさ、「遅い」ってことを自覚してくれよ…。
何だろうね、この自覚の無さ。
ノルマを知らないとしても、自分が入れてる量がとても少ない可能性について
不安になったりしないのだろうか?
俺はノルマ知るまで不安だったぞ…。

愚痴終わり。


職場でいろんな人と触れ合う。

僕が働いている医学系出版社では、
国試に落ちたいわゆる国試浪人の人だけでなく、国試合格後に医師にならない人がたくさんいる。
音楽での成功を望む人。
外国の大学を出て、日本の国試を受けるまでのつなぎでいる人。
漫画家を目指している人。
モデルでの成功を夢見る人。
何がしたいともなく、仕事をたくさん入れる人(正社員になりそうだ)。
医学部を受かり、国家試験も受かり、芸大に入ろうとする人。

夜勤の方の職場もそうだ。
ここでもバンドでの成功を望む人がいる。
若い頃は津軽三味線で食っていて、現在は写真家で食っていこうとしている人もいる。


僕が医学部にいた頃には到底知り合えなかった人々がいる。
僕は彼らに憧れながら、自分に失望しながら、奮い立たせるしかない。

僕は色んなところで「あゆなら何かやってくれそうだ」と言われる。
でも、そんなことはない。僕の能力のなさは僕自身が分かっている。
しかし、それでも、
「今から」が遅いはずが無い。

それにしても僕は人見知りだ。

話さない人はコミュニケーションしたくないんじゃなくて、
コミュニケーションが苦手なだけかもしれないわけですよ!


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2007年06月26日

『となり町戦争』

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いい本を読んだ。『となり町戦争』。




となり町戦争
三崎亜記


僕は小説としてこの本を優れているとは思わない。
文体も、人物造形も、ストーリーの進め方も、平凡だと思う。
平凡と言う語が否定的なら、「普通」だと思う。
amazonの書評を読むと、「劣化版村上春樹」という烙印が押されているようだ。

にも関わらず、「戦争とは何か」について、
極めて明確な答えを出した思想書として支持したい。

戦争とは何かについて語るには、戦争についての知識が必要だ。
そこで多くの戦争に反対する表現物は「如何に戦争が悲惨なのか」を強調する。
悲惨さを強調するために、大きな物語ではなくディテールに拘る。
つまり、「個人の死」を中心とした「小さな悲劇」を具に見せる。

けれど、野田秀樹の『ロープ』が示したように、
あまりに人の想像力は拙く、細部描写にすらリアリティを持てない。
何故なら、僕は痛くないからだ
他者の痛みを自分の痛みのように感じるには限界がある。


現在の戦争の特徴はまさにここ、リアリティの無さにある。
「リアリティが無い」という実感こそが、もっとも戦争の現実を反映している。
この小説は、一貫して主人公にリアリティの無さを語らせる。
そして秀逸なのは、直接的な死の描写が一つも無いことだ。

これは現代日本の戦争論として極めて正しい。
僕達はメディアから死の臭い(背景としての死)を嗅ぎ取るだけで、
決して死そのものに触れることは無い。
もしメディアを見て「これが(本当の)戦争だ」と実感したなら、それは傲慢だろう。

僕達にとって戦争は、その全てが記号化している。
教科書と、本と、メディアによるイメージ、
そしてそこからの差異という形で捉えることしか出来ない。
小説における「広報に載る死者の数字」こそ最たるもので、記号化の表象としての記号だ。


目の前で人が殺されるのが戦争ではない。
ぼんやりとしか姿が見えず、ただいつの間にか記号的に人が死んでいく。
それが現代の戦争であって、「実感の出来なさ」こそが戦争の本質なのだ。
自分が戦争に加担しているのかどうかすら分からない、
いつ始まり、いつ終わったのかすら分からない、
既に関係性は不透明化した。


視点を変えて、「となり町同士の合意による戦争」という位相も正しい。
現在の戦争と言うのは、お互いが憎みあって行われるのではなくて、
少なくとも片方にとっての一つの事業としてなされる(特に大国が行う場合)。
「共同体の幸せのために」、メリットデメリットが勘案される。
そして上の主張する「戦争により齎される幸せ」を
共同体の構成メンバーが信じることが出来ないという小説内の主張も、
現代の状況を上手く表現している。

「何のリアリティも無いけど、何かおかしい。」
こういうやり方でしか戦争に反対できない主人公は、
結局本気で戦争を嘆けない。戦闘のあった場所を探してドキドキしたりするのだ。
だから最後までリアリティなく、戦争が終わると同時に、
香西さんという「戦争のようにリアリティの無い存在
(けれど少し分かった気がする存在)」を喪失する。
そしてその個人的喪失を戦争による喪失と重ねるくらいしか出来ない。

ただただリアリティが無い。

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2007年06月25日

偽装国家と臆病さ

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偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義
勝谷誠彦


偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義を読む。

勝谷誠彦は、感情的にはとても好感の持てる物言いをする人間だ。
彼が怒るべきところはまさに僕が怒るべきところだし、
譲らないところは譲らないところなのだ。

この本は、近年の社会問題を寄せ集めて、「偽装」という観点から論じたものだ。
といっても、「論ずる」と呼べるほど深い議論はなくて、
ただ何度も繰り返し、偽装が横行する現状を述べている。

さて、最近の話。
食肉偽装 暴落した中国産カモ肉も混入 鳥インフル流行時
6月25日16時56分配信 毎日新聞


 中国で鳥インフルエンザが流行した時期に価格が暴落した中国産カモ肉を北海道苫小牧市の食品加工卸会社「ミートホープ」が大量に仕入れ、牛などのひき肉に混ぜていたと24日、同社元幹部が毎日新聞に証言した。毎日新聞が入手した同社の内部資料には牛ミンチにカモ肉を混入したことが記録されている。同社がコストを下げるため、なりふり構わず格安の原料を探していた様子がうかがえる。この日、道警苫小牧署などは、同社本社と汐見工場など約10カ所を不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で家宅捜索した。【金子淳】
 元幹部によると、中国産カモ肉は通常1キロ当たり500〜600円程度だが、04〜05年ごろに中国で鳥インフルエンザが流行した影響で相場が暴落した。元幹部は「そのころ、1キロ当たり30〜50円程度で数十トン単位で仕入れ、牛などのひき肉に混ぜて偽装していた」と証言した。
 同社は10年以上前からミンチに水を混ぜて増量したり、化学調味料で味をごまかしていたという。元幹部は「社長はどんな肉でも無駄にせず、何でもひき肉に入れていた」と話した。
 内部資料は工場長が作成した「投入原料日報」(06年7月)で、そこには「牛ダイヤ」と呼ばれるミンチの原料欄に「カモササミ」と記載されている。同社の牛ミンチを使った牛コロッケからは、鶏のDNAが確認されている。

この日記を書いているのは6月29日なのだが、
この時点で新しく「肉の洗浄に屋根からしたたる雨水を使っていた」ことが分かってきた。
酷い。


まあ、こういうニュースが上記の書籍には22個述べられているわけだ。

僕は談合システムに対して一概に反対の立場をとらないが、
短期的視野とことなかれ主義、談合主義的共産主義が
偽装を常態化させているという勝谷の批判は最もだろう。

ただ、もう少し処方箋を示して欲しかったな。
「談合が弱者を保護する」という利点との絡みも論じて欲しかった。


この流れでベンジャミン・フルフォード。



日本マスコミ「臆病」の構造―なぜ真実が書けないのか
ベンジャミン・フルフォード






イケダ先生の世界―青い目の記者がみた創価学会
ベンジャミン・フルフォード


この2冊はまた、勝谷とは違った視点で日本の諸問題を見る。
ベンジャミン・フルフォードは「タブー」を通して日本を見る。
彼もまた、勝谷も指摘するように、いや、多くのメディア関係者が自ら指摘するように、
記者クラブ制は廃止すべきだと主張している。それこそが臆病の温床だからだ。

臆病さの具体例を挙げてみよう。
今までに「外国の雑誌が皇室について〜と報道」といった記事を
見たことがないだろうか?それの裏側はこうだ。

新聞は皇室について書けない→雑誌記者にリーク
→雑誌記者も皇室について書けない→外国の雑誌記者にリーク
→外国で雑誌化される→それを引用して日本の雑誌が報道
→それを受ける形で新聞が報道


外国の雑誌で日本のタブーに関する報道がなされるとき、
新聞社は既にその情報を得ている。


これが臆病だ。知っているのに書かないことが日本のメディアは多すぎる。
これは根回し主義と繋がっていて、内輪的談合と偽装と関係している。

ただ、ベンジャミン・フルフォードは文章が上手くない。
説得力が弱い上に現状分析だけで、「結局何でそんなに臆病なのか」が
上手く伝わってこない。

最後の創価学会の本もそうだ。
無知な外国人記者として、信憑性のある話をしているものの、
読者の「もっと裏が知りたい」という思いは未消化なままで終わる。


ってことで、上記3冊はスラスラ読めるけど少し内容薄めでした。

創価学会の資産は10兆円!

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2007年06月24日

集団自決に関する教科書問題

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集団自決教科書問題、沖縄の大学教授ら検定意見撤回を要望

 文部科学省の高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での住民の集団自決に「日本軍の強制があった」とする表現に検定意見が付き、修正が求められたことに対し、沖縄県内の大学教授ら約40人が15日、文科省を訪れ、検定意見の撤回を求める伊吹文科相あての要望書を提出した。

 要望書の趣旨に賛同する8万3368人分の署名も手渡した。

 要望書では、今回の教科書の修正に関して、多くの沖縄県民が「歴史の歪曲(わいきょく)だ」と認識していると指摘。検定意見の撤回と審議経過の公表を求めている。

 これに関連して、安倍首相は同日、首相官邸で記者団に「沖縄戦は大変悲惨な戦いであり、気持ちは私も良くわかる」とした上で、「一方で、検定について私が指示をするわけにはいかないこともご理解頂きたい」と述べた。

(2007年6月15日20時18分 読売新聞)

歴史的経緯。
自決強制の問題は、ずっと左が主張し続けていて、教科書に載っていたのだ。
で、それを右の人が「事実を変えるな!」と主張していた。
「自決強制があった」という証言をしたにも関わらず、
後になって「本当は無かった」と証言を翻す人が何人もいたからだ。
(軍命令で自殺したのであれば遺族年金が出る。
 そのことが嘘をつかせた理由と言われている。)

僕は自決強制が本当にあったのか疑っているが(集団自決自体はあった)、
大きく議論が分かれている以上、載せないというのは政治的に正しいと思う。
事実を葬り去ろうとしている」という批判があるが、
「事実を葬り去ろうとしている」かどうか自体が今問題となっているわけで。

一部の権力者たちによって、自分達の都合のいいように、歴史を塗り替えさせてはいけない
という人がいるが、
集団自決がなかったと言うことで、権力者たちにはどんな得があるのだろう?
(「ナショナリズムを煽って支持率回復するんだ!」とかは止めてほしい。)

政府が証拠が残ってないことを認めてはいけない。
僕は「なかった」と言っているのではない。
今の時点の政治的な妥協点として正しいと言っているのだ。


では、そもそも「証拠」とは何なのだろう?
確実な証拠は、自決を強要する場面の録音または録画媒体だ。
それがないのであれば、「自決強要を軍が決めた」という文書
(作成者、作成日時が分かっているもの)。
その次に、第三者の、複数の、筋の通った証言。

特にこの問題では、「集団自決で軍の強制があった」と証言した人が
「強制はなかった」と言うようになって「自決の生き残り」の証言の信憑性は揺らいでいる。

利害関係者の、筋の通らない証言は証拠として価値が低い。
この件で事実を認めろと叫んでいる人は、
(主張している当の本人を除いて)何故証言だけであったと言い切れるか分からない。
僕だって「あったかもしれない」とは思うが、何故断言できるのだろう?
沖縄県の新聞だって、かつては「軍による強制が無かった」と書いていたのに…。


ここは全体主義国家じゃないのだ。
疑問を呈することすら許されないなんて異常だろう。


ちなみに、沖縄は戦争に関して言論の自由が(本土に比べ)許されていない。
この特殊性は考慮されるべきで、沖縄で「軍の強制がなかった」ということはタブーだ。
(これは戦争の被害が大きかった広島などでも言える事だ。)
本土ですら「本当に強制はあったの?」というだけで
こんな反発を受けるのだから言わずもがなだろう。


mixiで、僕のような思考を批判しているだろう文章として、
そこに先祖代々住んでいるわけでもない人間が
 よくもまあ勝手な無神経なことをいえるものだと非常に不愉快にすら感じる

というものを見かけた。
しかしこれこそが全体主義の思考じゃないか?

従軍慰安婦問題で軍の強制がなかったと考えられているように
(今では左の人すら認めていることだ)、
「弱者」の主張が全て正しいわけではない。
彼女らの武器は「被害者としての立場」そのものであって、
倫理的に疑うことが許されないという強みを持っている。
弱者を疑うと周囲から批判されるからだ。
だからこそ、疑わなくちゃダメなのだ。僕達はそこにいなかった第三者なんだから。


僕は、証拠がないものについて誰かが「あった」と信じることはありだと思う。
そう信じたいときもある。
ただ、「あった」と押し付けられることについては拒絶する。
教科書に書くということは、事実だと認めることだ。
教育を行うには、あまりにナイーブ過ぎる問題だろう。

ただ、教科書で(or授業で)、
『あった』と言う人がいる」という言い方はしてもいいかもしれない。
ただしその場合、「『あった』と言っていた人が、
後になって『実は無かった。年金の為に嘘をついた』と言った例がある

ということも言う必要がある。


1945年以降、日本においては、戦争に関して言論の自由がずっと許されなかった。
連合国の言ったことを受け入れ、
やっていないことだってやったと言わなくてはならなかった。河野談話がいい例だ。
戦争に関する言論に関して、全体主義的だったというのは誇張でも何でもない。
異論が許されなかったのだ。
そして今回の問題もその臭いがどうしても漂ってくる。

言論の自由を!

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2007年06月23日

ライアーゲームと『宣戦布告』

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ライアーゲームが最終回を迎えた。
ゲーム的には「リストラゲーム」までが面白かったなあ。
密輸ゲームはあまりに「ゲームの外側」での戦いが多すぎる。
まあ、ゲームの性質上しょうがないが、
ATMから金を引き出すカードを損傷して再発行する」とか、もう興ざめだよ。
ヨコヤがやられていく様を見るのは痛快だったけどw
でも、今期ドラマで一番ハマったのは確か。

で、最終回の神埼直を見ていてイラついたわけだが
(周囲の人間に聞いてもやはりイラついていた)、
みんな仲良く、いい人で、誰も損することなく」なんてのは理想主義に過ぎる。
いや、理想として掲げるのはいいが、それを理由に相手を完全に信頼して、
自分の身を守る術を持たないって選択はダメだろ。

実際、フクナガにせよ、ヨコヤにせよ、直は色々な人間に騙され続けてきたわけだ。
その上で、「それでも人を信じる」というのは美徳だが、
そう言う権利があるのは、
騙された時の責任、被害をきちんと自分の手で受けてきた者だけだろう。

直が甘いことを言うことができるのは、秋山という強力な助っ人がいたからだ。
僕は作者が政治を意識しているのではないかと思う。
日本が直、秋山がアメリカ、ヨコヤ・フクナガが朝鮮や中国。
直が平和を叫び続けることが出来るのは、9条があるからではもちろんなく、
アメリカがいるからだ。

アメリカの力を意識した上で、(アメリカと共同して)政治的に平和を振舞うのはいい。
しかし、自分が守られていることを意識しないまま、
喧嘩はやめて仲良く」と言ったり、
武力反対」とアメリカを批判するのは倫理にもとるじゃないか。
(僕はアメリカのする全ての戦争を肯定しろと言っているのではない。)

純真無垢を振舞うなよ。
武力を持った上で、自分で自分の身を守れるようになった上で、戦争反対を訴えろよ。


『宣戦布告』という映画がある。



宣戦布告


麻生幾の小説が原作の映画。
敦賀半島沖で座礁した国籍不明の潜水艦に乗り込んでいた特殊作戦部隊員が、
重武器を持って上陸したことが判明しする。
しかし有事法制も周辺事態法も成立していない当時の日本では、
侵入者に対し自衛隊を出すこともままならない。
いざ自衛隊が出てもなお、発砲許可が出ずに多くの隊員が反撃できないまま死んで行く。
日本の危機管理の欠陥を突いた作品だ。
(『パトレイバーthe movie2』の影響を受けいているとも言われる。)

「ヨコヤ的」侵略に対して「平和」を叫ぶことが如何に無力か描かれる。
暴力を持った人間だけが暴力反対を訴えることができるという逆説がそこにはある。

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2007年06月22日

標準化ゲーム

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電波利権
池田信夫


コンセンサスはどのように形成されるのか?
池田信夫の『電波利権』から考えてみる。2つのケースを見てみる。

@携帯電話をアナログからデジタルに移行する際のこと。
各国が個々のデジタル規格を用いていており
(アメリカなどは国内でも複数の規格が乱立していた)、
ITU(国際電気通信連合)が規格の世界標準化に乗り出した。
ヨーロッパが主張した規格はGSMと呼ばれ、
当時の世界シェアの圧倒的な部分を占めていた。
一方NTTが主張したのはPDCだ。性能で優れたPDCを郵政省も後押しした。

結果、デジタル携帯電話(第二世代)の標準化は、GSM主導で行われた。
現在のGSMシェアは世界の80%以上を占める。
PDCシェアは数%となってしまい、自社規格に拘り続けたNTTの姿勢は批判された。


Aその後の話。
今度は携帯端末用の効率的なパケット交換システムの標準化が図られた。
当時200社以上が参加するWAPというグループが標準化を進めていた。
彼らはその名の通り、IPパケットを圧縮した「WAP」というプロトコルを推し進めていた。
一方NTTは、これまた独自の規格、「PDC-P」という日本でもNTT独自のパケットを推進した。
PDC-PはPDCの二の舞になるのを危惧された。通信速度も遅く、TCP/IPとの変換処理も遅い。
なおかつローカルなのだから。

しかし、その予想は外れ、PDC-Pプロトコルを用いていたiモードは爆発的に広がり、
世界標準になった。WAPはiモードに追随し、
iモードが用いているC-HTML言語との互換性を備えるようになった。


これらは、相反する結果に見えて、同じ方向性を主張している。

既成事実だ。
GSMは、圧倒的なシェアが前提としてあったから、標準化の規格になれた。
iモードもそうだ。WAPが200社からなるグループだったが故に、
内部での規格化調整に時間を費やしている間に、
iモードでの独自のシステム構築と消費者の獲得・市場の拡大を成し遂げてしまったのだ。


と同時に次のことも言える。
規格の標準化は、「上」からなされるのではない。
多くの思惑を超えて、市場が自律的に「標準」を形成する。
高機能なものが世界の標準となるのでもないし、
ここに挙げた例以外でも、多くの会社が集まり統一の方向性を
作ろうとして失敗したケースはたくさんある。
誤解を恐れず言うなら、「制度は設計できない」。

僕は市場原理を万能視しているのではない。
政府にも会社が構成する機構にも価値はあると思う。
その価値とは、適正なゲームが行われるように監視するという機能だ。
既成事実が重要とはいえ、寡占や新規参入障害は拒絶しなくてはならない。
(日本の携帯電話の値段の高さはよく批判される。)

しかしそこに求められるのは「公正さ」であって、効率化ではない。
効率のためのルール形成は、市場に任せるべきなのだ。
特に、技術革新が早い分野では、上からのルールは単なる「重し」でしかなくなる。


ちなみに、池田は次のように主張している。
・政府は業者に占有されている電波を逆オークションで買い取り、オークションにかけよう。
・通信業のインフラにテレビ局コンテンツを流そう。
・コンテンツに関わる著作権を一括化しよう。


結論:中央が行うべきは効率化ではなく、効率化の舞台を整えること。


蛇足だが、政治で民主主義が採用されるのは、最も効率的な解が導かれるからではない。
非効率さや、意思決定の遅さは予め許容されている。
(民主主義では正しい解は導けない。国民レベルの国にしかならない。)
民主主義の一番の価値とは、「結果に納得できる」と人々が信じていることだ。

経済に比べて政治は時間の流れの遅さが許されるから、
人々は民主主義という談合システムに耐えられる。
政治システムはそれでよい。のか?

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2007年06月21日

『ヤバい経済学』

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『ヤバい経済学』を読む。



ヤバい経済学 [増補改訂版]
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー


2006年に売れまくった経済書の増補版。
「経済学にはこんなに力があるぜ」ということを身近な例で示してくれる本。社会学みたい。

面白い。
1990年代のアメリカにおける犯罪の減少の理由は何か?
厳罰化したから?警察官の数を増やしたから?経済成長があったから?
違う。妊娠中絶を合法化したからだ。このことが統計学的に証明できる。

他にも「育ての親ではなく生みの親に子供の成績は影響される」、
相撲には八百長がある」などなど、受け入れにくい主張がなされる。
もちろんそれぞれの主張は統計学的に証明されている。

ところで、「統計学的に証明されている」とはどういうことか?
簡単に言えば、「これらの事象が偶然に起こる可能性は極めて低い」ということだ。
故に、数学的な意味での厳密な証明ではない。
しかし、逆に数学を除いた多くの科学というものは、
「可能性」で物を語っており、それをもって「厳密じゃない」と否定しまうのもナンセンスだ。
(ポパーが言うように反証可能性こそが科学なのだから。)

経済学的手法の価値は、相撲の八百長問題を見れば分かる。
八百長があると告発した力士がいるとか、その力士が殺されたとか、
そういった事情で「八百長がある」と言う場合、
これらは「告発者への信頼」を基にしている。

けれど、そのような信頼は揺らぎやすいし、故に攻め手にかける。
他の人間が「そんなことはやってない」と言えばそこで終わってしまう。
しかし、経済学的手法はもっと客観的なデータを示すことが出来る。
例えば、8勝6敗の力士Aと7勝7敗の力士Bが戦う時、
普段の戦いから想像される以上にAが負けBが勝っていることがデータで証明される。
これは、何らかの温情が働いていると考えるのが合理的だ。


そして、「告発者」という主観的主張と「データ」という客観的主張が組み合わさると、
説得力がグンと増す。片方だけでは納得しにくいのだ。

主観的主張にも客観的主張にも価値がある。
しかしどうだろう。
後者の方が納得しやすいが、
それが主観と乖離していた場合、どう判断すればいいのだろう?
「データは確かにこう示しているが、感覚と明らかに異なる」という場合。
この本の著者達は「数字は嘘をつかない」と言う。それは妥当だし説得力もある。
けれど、それは過信を含んでいないか?証明不可能なものをないがしろにしていないか?


話は変わり、インセンティブについての話は面白い。
例えば。
1.イスラエルのとある保育園。
子どもを迎えにくるのが遅い親が多いため、「送迎に遅刻したら罰金」という制度を始めた。
結果、遅刻してくる親が増えた。
2.献血の話。
献血者への感謝、そして献血者を増やすために、献血に対して報奨金を与えるようにした。
結果、献血者は減った。

何故か?
1も2も、道徳的なインセンティブを経済的にインセンティブに置き換えたからだ。
遅刻は「金を払えば許可される」ようになり、献血は「痛い思いをしてお金を得る方法」に堕落した。

ここに共通するのは、自らを経済主体へと置き換えれば、良心が身体と距離を置くという思想だ。
面白い。
インセンティブから制度設計することは可能だし必要だし夢もある。

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2007年06月20日

気になるニュース23

気になるニュース。

・飲むワクチン:東大医科研、コメで開発 遺伝子を組み込み、注射要らずコスト安
・エホバの証人:手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪
・親の理不尽な要求、抗議に学校苦慮…読売調査
・カップに広告、モニターからCM…仰天「0円自販機」
・日本人の自尊心の高さ、米国人や中国人との差なし
・世界は失笑…テレ朝がウッズに「ハニカミ知ってる?」



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2007年06月19日

気になるニュース22

気になるニュース。

・朝鮮総連:本部の土地建物売却 公安調査庁元長官の会社に
・朝鮮総連本部売却に首相不快感 「過去の立場自覚して」
・<朝鮮総連本部売却>公安庁職員が仲介者を元長官に紹介
・緒方元長官、遺棄兵器ビジネス狙う…総連契約直後に渡航
・「事実上の軍隊、情報収集は当然」梅原仙台市長が信条語る
・回収紙をナプキンに、ようじ再使用も…中国紙報道
・児童ポルノ:米が日本に罰則強化要求 「単純所持も犯罪」



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posted by あゆ at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

純粋の移行

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先週の金曜。
宮崎あおいが結婚して、宮崎あおいが結婚して、日本国中が祝福と、
(男性の)大きな悲嘆と、無理に作った笑顔に包まれた。

彼女は「処女性の喪失」を儀式的に演出した。
これは「大人キャラを演じますよ」というコンセンサス形成
以上の意味を持つ。
「7年間付き合ってました」という事実とその公表が、
処女性と純粋性を切り離したのだ。


「少女性」の美しさは汚れのなさにあるが、それと同時に、
これから汚れていく「滅びの過程」を想像できるところにもある。
(少女〜大人間のアンバランスと言い換えてもいい。)
何故なら少女を見つめる大人たちは、
自分たちが汚れていることを知っているからだ。
美しいものが汚れていくのを見るのは、切ないが故に娯楽になる。


どこかで「カップルの浮気率は50%に及ぶ」という統計を読んだ。
今ネットで探してみてもそのような数値は見つからないため、
その数値は高すぎると思うが、浮気は最早珍しいことではない。
周囲を見回しても、浮気することに抵抗感のない人間の方が多い。

けれど、そういう人たちに共通しているのは、次のような感覚だ。
浮気は大したことじゃないし、個人の自由だと思うけれど、
 チャンスがあっても絶対に浮気しない人がいるなら、
 そういう人間は信用できる

そして、
私(俺)には真似出来ないけど」と付け加えるのだ。

彼らは、
浮気しない人間がバカだと思っているのではなくて、評価するのだ。
にも関わらず、自分がそれを真似出来ないほど
自由化されてしまっていると自覚しているし、
浮気をすべきでないという考えには反発する。

その上で、自分は古い考えはもう実践できないけど、
実践している人間を「いい」と思う。
自由であるのに「権利」を行使しない様を「いい」と思う。
懐古主義とは違う評価の仕方だ。


僕の友達に、付き合って2年してもセックスのないカップルがある。
ちなみに、とても仲の良いカップルだ。
20代以上の多くの人にとっては驚きのような状況だと思うが、
それと同時に、どのカップルよりも祝福したくなる。

僕はプラトニックであることを評価しているのではなくて、
お互いがお互いしか見ていないという状況と、
そのことをお互いが信じていることを評価している。
プラトニックとは違う純粋。
(今彼らがセックスしたところで評価は変わらない。)


宮崎あおいが作った偶像とはそういうものだ。
「少女から大人になったけど、純粋である」という奇跡的状況。
これは「処女性」→「最初の相手=最後の相手」という純粋性の移行であり、
「滅びの過程」のある意味で嬉しい裏切りである

既に真似出来なくなってしまった大人たちの「理想」たりうる。


結論:
くそ、「彼女は妊娠してません」とか言ってんじゃねー。
何だそのエクスキューズ、もしくは
「深い関係にはなってるけど」的な臭わせは?うらや(ry

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2007年06月17日

議論・統計・感情論2

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(07/06/16)「議論・統計・感情論1

僕はとある人と意見がよく食い違う。思想は対立する。
お互い譲れないこともあるし、腹も立つし、
正直「何言ってんだコイツ!」となることだってある。
言い方がきつくなることもある。

ただ、それでもコミュニケーションが継続可能なのは、
何かを共有していると信じられるから」だ。
そしてそういう相手に対しては、
本気で殴りつけないという自制が働く。お互いに。

正論ほど、相手を追い詰めるものはない。
かつて父が言った言葉で、ずっと心に残っている言葉がある。
それは、
相手に逃げ道を残せ
という言葉だ。

続けて父は言った。
相手を追い詰めたら本気で闘いあうしかなくなる


議論の目的は、相手を打ち負かすことじゃ決してない。
「そこ」で行われてるのは、政治的ディベートじゃないんだから。
もちろん、自分の思いは分かって欲しいと思う。
けれど、戦略的妥協は必要だ。
わざと折れたり、わざと相手の土俵に乗って戦うことだってある。

これは馴れ合いではないと自信を持って言おう。
僕は(多分)負けず嫌いだが、
あそこは向こうが正しかったな」なんて反省はいくらでもあり、
議論に価値があるのは、そういった相互作用であって、
「正しい事実」で相手を上から啓蒙することではない。



そして、別の表現(別の思想)の人同士が、
あれ、実は根っこは同じ思いだったんだ」と気付けたなら、
対話には本当に価値があると思う。マジで。
同じ思いから出発して意見が別の表現になることは往々にある。
何だ、この人俺と一緒じゃん」という思いは、思想を超えうる。
恐らく、この「折り合わないままの事実的な融和」というのが、
多様化した価値観を調整する一つの答えだ。



定義不可能なものは、存在しないのか?まさか。
データで裏付けられないものは、信じないのか?まさか。
言語化できないもの、データ化されないもの、
そんなものはいくらでもある。
そしてそういうことを語るのは、いや、語ろうとするのは、
決して非難されるべきことではない。

例えば『国家の品格』なんて居酒屋談義じゃねーか、と言う書評からは、
「価値観を語ること」への過小評価が見られる。
自分の価値観を交えずに客観的に語ることと同じくらい、
主観的に物を語ることには価値がある。



社会学者の本を読むと、様々な統計が使われている。
そうだったのか、と感心するし、面白い。
けれど、僕が心を動かされるのは、
「不透明な部分」に対する社会学者の根拠の薄い解釈の方だ。
遥かにそっちの方が(少なくとも僕にとっては)価値がある。
何故なら、そこに拍動のようなものを感じられるから。


データ主義は感性を磨耗させる。
にも拘らずデータ主義は、感性によって支えられている。
データの採取、選別、解釈。
感性を感情論と呼ぶのであれば、感情論なくして、統計はありえない。

そう、統計と感情論は二項対立じゃない。
お互いが目の端で相手を捉え、違う行動を取りながら、こっそり参考にし合うのだ。


お互いを批判しながら。それ以上の敬意を持って。

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2007年06月16日

議論・統計・感情論1

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未成年の凶悪犯罪は増えていない」としたり顔で言う奴がいる。
世間はマスコミにミスリーディングされてるけど、
 俺はデータをちゃんと知ってるぜ
」とでも言いたげな。

僕は、何故「凶悪犯罪が増えているように感じるのか」に興味がある。
昔から凶悪な少年犯罪はあったし、理解不可能な少年犯罪もあった。
もちろん酒鬼薔薇が最初じゃない。

しかし、それで「だから少年は変わっていない」とか結論付けるヤツは何だ?
言い方を変えよう。
統計データを示されても、
「何かが変わってきている」という感覚が消えずに残らないのか?
僕は残る。そしてそれに興味がある。


統計で凶悪犯罪が増えていないことが証明されても、不安は払拭されない。
何故かというと、
社会の構造が変化してきているという実感が先立つからだ。
(社会構造が変化してきていることを否定する人はいないだろう。
 例えば核家族が増え、製造業に従事する人は減り、犯罪検挙率は減少してきた。
 経済格差は広がり、教育格差も広がっている。)


むしろこういうことではないか?
社会構造が変わってきているにも関わらず、
統計学的に少年凶悪犯罪の動向が変わっていない(ゆるやかな減少)のであれば、
それは最早構造に依存せずに一定の割合で発生する「外れ値」である可能性がある。
その場合、
「凶悪犯罪は統計学的に減ったにも拘らず、不安」という
実感は否定されないし、
現在と過去に凶悪犯罪で相同性があることは、
社会構造の相同性も「生きやすさ」や「安心感」の相同性も帰結しない。したとしても一部だ。
(つまり、少年犯罪が増えていなくても、「昔より悪くなっていない」とは言えない。
 それ以外の部分での不安が増大した可能性があるから。)

そう、
凶悪犯罪が「外れ値」ではなく「社会の当然の帰結」のように
感じられてしまっていること自体が、現在の社会構造の特質なのだ。
つまり、凶悪犯罪以外の部分に起因する不安感情が、
昔から一定の頻度で起きている凶悪犯罪を不安に見せている可能性がある。


僕は24歳だが、短い人生の中で、90年代の空気は「異常」だった。
村上春樹が着眼するように、地下鉄サリン事件と阪神大震災で日本の「何か」が変わりました。
(9.11で世界が変わったように。)
もちろんこれは感覚です。しかし感覚として、「不信が蓄積した」。
それは、未成年の凶悪犯罪が減少していることと何ら矛盾しない。


誤解して欲しくないのだが、僕は統計手法そのものに反論しているのではない。
必要以上の不安を感じる必要はないし、そのために統計は必要なツールだ。
マスコミは確かにミスリーディングで、はっきり言ってクソだと僕も思う。
統計学がそれを是正するだろう。
実際のところ、未成年の凶悪犯罪は増えていないので、
それを「増えた!」と言ってしまっては感情論だ。

けれど、何故そのような感情論が出るかは面白い分析対象となる。
僕はマスコミのミスリーディング以外に不安があると思う。
未成年の凶悪犯罪というデータには反映されない不安が。
統計を示すことによっても慰撫できない不安が。

そして生きていく上でこの不安感情というのは重要な問題だ。
社会は確実に変わってきているという事実が
その不安感情の源泉だと考えられ、それは生きにくさに結びつく。


統計的なデータに感覚が「完全に」屈服する必要はない。
何だか、わからないけれども、そう思う」。
それが統計より真なこともある。
統計は、ある事象と「その時に原因と考えられるもの」との
相関関係しか見出せない、限定的なツールなのだから。

統計と実感のズレこそ、新しい物事の関係を見出す契機になる。
実感が統計を潰したら感情論だと思うが、
統計が実感を潰すのもまた、理性への過信だろう。


何か変わってきてるって感じるのが普通の感性じゃない?

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2007年06月15日

中絶は悪か?2

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(07/06/14)「中絶は悪か?1」の続き。

昨日の日記の問題提起に対して、無難な答えは法律を持ち出すことだ。
法律では胎児は(殺人罪や傷害罪の客体としての)人には原則として含まれない。
中絶は母体保護法で認められている。

母体保護法的には22週未満が中絶の目安となっている。
22週以降であれば医療施設で赤ちゃんは生存できるからだ。
(しかし、現在の医学技術は発展し、
 22週未満の早産でも生存が可能になってきだ。)


しかし、上記のようなことなど、瑣末なのだ。問題はそういうことではない。
中絶肯定派は中絶は殺人ではないと考えているのだろうか?
外に出て生きられるかどうかで(例えば22週を境にして)
赤ちゃんは人間かどうかが決まるのだろうか?
そもそも中絶せずに子宮の中で大きくなり続ければ、
外に出ても生きられるようになっていたのだ。


法?
そもそも、
母体の健康を著しく損う場合やレイプなどによる妊娠を除いては、
現在の中絶の多くは違法なのだ。
法に照らせば、中絶と出産した子の殺人は違法という点で同等だ。
(もちろん、現場では中絶は黙認され、殺人は黙認されないので、
 逮捕されるかどうかの違いは出るが。)
現在の中絶は違法にも拘らずそれこそ「なんでもあり」状態だ。
いかなる理由でも中絶できる。


更に。こちらの方が重要だ。
法により違いを見出すこと自体が、
法以外の部分での相同性を暗黙に認めているのではないか?

法以外の部分、つまり、「殺人である」という認識だ。
もしくはメンタリティにおける
「いない方がいいから殺す」という感覚。
どうだろう?僕が問題にしているのはメンタリティだ。


中絶のメンタリティとは、
想像される父母と子の生活が好ましくないのであれば、
 殺人が許容される
」というものだ。
これは死刑制度よりはるかに悪質で、何故なら個々人の裁量による殺人だから。


今回の殺人は、生まれてきた赤ちゃんを「22週未満の赤ちゃん」と
同じように扱ったんじゃないかと思われる。
それは保身のためなら殺人も厭わないメンタリティ。
18歳母は、「中絶」したのだ。生活を守るために。
中絶肯定派の誰が彼女を倫理的に責められるのだろう?
「あなたは法律に違反したから悪い」とでも言うのなら滑稽に過ぎる。


中絶肯定派だろうが反対派だろうが、
中絶が殺人であると言う認識は必要じゃないか?
合法化(もしくは肯定)は、
「殺人の肯定」であることを踏まえた上で為されるべきだ。

ただし、
胎児は生命ではない(もしくは一人前の生命ではない)という主張を本気でするなら、
中絶は(完全な)殺人ではないという主張も出来る。
しかしそうであるなら、次のことを考えてもらいたい。

22週未満の赤ちゃんの頭を子宮の中で潰す時、
「世界から何も失われない」と考えるのだろうか?
例えば、22週未満の赤ちゃんを妊娠している妊婦を誰かが殺した時、
「二人の命」が失われたと考えないだろうか?

ん?中絶するつもりだった胎児と、産むつもりだった胎児は質が違う?
それを本気で主張できるか?

やるなら本気で主張しろ。議論のためでなく。正当化のためでなく。


僕は中絶は殺人だと考える。
その上で、許容される殺人があると思う。
(こいつはどう考えても死刑だろ、
 と多くの人が思う死刑があるように。)
僕は「中絶は殺人だ」という後ろめたさが機能する限り、
中絶の合法化も構わないと考えている。


自らの生活を維持するために、子供を墜ろすことも一つの選択肢だと僕は考える。
中絶をせざるを得ない場面はあると思う。
僕はその意味で中絶そのものを肯定する。

しかし、そこには「後ろめたさ」がなければならない、
「殺人ではない」ではなく、正当化しないまま、
「殺人だけど許容する」というスタンスだ。
(もちろんこの罪悪感は男性も背負うべきだ。)

悲しさがなければならない。
「当たり前」ではない、どう言い繕っても、言い訳しても、
そこには埋められない、泣きたくなるような喪失がある。

中絶は権利だろう。
しかし、左の人が「リプロダクティブ・ライツ」と主張するときの腐臭は何だ?
権利は権利でも、それを「当たり前」のように言うなよ。心から肯定するなよ。
行使の際に圧倒的な自己嫌悪が伴うべき類の権利じゃないか?
それは法律とは関係なく、自らの手で命を終わらせることへの戸惑いだ。

死刑制度に反対するサヨクは中絶に反対しろ。

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2007年06月14日

中絶は悪か?1

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学生が学校や家で子供を産み、そのまま捨てたり殺したりしてしまう事件が相次いだ。
そんな時に、恐らく左寄りの人から、
学生が妊娠を隠さなくてはならない社会がおかしい」とか、
中絶しにくい社会状況が悪い」とかいう意見が聞かれる。
果ては、中絶反対を訴える人々を責め出す始末。


考えてみよう。
(ちなみに、出産まで妊娠に周囲が気付かなかったことがおかしいという意見には賛同する。)

中絶反対論者ってのは、僕が知るところ、中絶の「合法化」反対論者だ。
現在の法は、母体の健康を損う場合などを除いて中絶を禁止している。
しかし、実際には健康が損われなくても「生みたくない」のであれば
中絶を行える。
もちろん犯罪だ。ただ現場では黙認する。

反対論者の主張は、「中絶が悪である」という認識により、
避妊へのインセンティブを上げることにある。
合法化してもしなくても、中絶は実質的に可能なのだが、
合法化された場合、社会は中絶に対して中立的な価値を
与えたことになり、中絶は「悪いこと」ではなくなる。
これは避妊のインセンティブを下げる。

もちろん合法化のメリットもある。
それは、中絶の安全性を高めることが出来ることだ。
合法化により妊産婦死亡率が減少することが諸外国で証明されている。
(これは、風俗でも麻薬でも同じことが言え、合法化により実態が改善される。
 何故なら悪い状況を訴えることが出来、同時に公権力による管理が可能になるからだ。)
ただし、多くの中絶肯定派の主張では、死ななくてすんだ妊産婦のみが強調され、
死んだ胎児の命は無視されています。


育てられないのに中絶を許さないのは酷い
というのが中絶肯定派なら、
育てられないのであれば避妊しろ」が中絶反対派の根幹だろう。
(「育てられなくても産め」ではない。)

故に、避妊率を上げることを目的とする中絶反対派は、
今回の事件を見て、
生んでから殺すなら中絶しろよ」と言うだろう。
それに対して「中絶反対派のクセに!」というのはナンセンスだ。
(ただし一部の「真の」中絶反対派=生命至上主義者は「妊娠したなら産め!」と
 言うだろう。これも一つの考えだ。)


ちなみに、
中絶反対論者に対して「だったらアナタが育ててくれるんですか?」と言うのは、
意味の分からない押し付けだ。「同情するなら金をくれ」的な。
当事者の感情の爆発であるなら何とか許容されるかもしれないが。



話は変わる。

犯罪の加害者は、多くの場合社会の被害者だ。もちろん。
貧困にせよ、アイデンティティのゆらぎにせよ、
社会からの疎外にせよ、他者への想像力の欠如にせよ、
基本的には社会的構造から生産されると考えていい。

けれど、「だからどうした?」というのが一般的な感覚なのだ。
(mixiの日記でも加害者を責めるものが多い。)
同じ構造にいながら多くの人が犯罪を犯さないにも関わらず、
一部の人が犯罪を犯すのは、構造以外の個人的な脆弱性
(性格等のゆらぎにおける正規(?)分布の両端)があるからだ。

社会的な手当てはまず構造に対して為される。そこに異論はないだろう。
では、個人的な脆弱性に対して、どこまで手当てすべきなのか?
これは難しい問題だ。
弱者(=犯罪脆弱性を持つマイノリティ)に対して優しい社会は、
マジョリティにとって住みやすい世界と一致するとは限らないからだ。


最後に、あえて挑戦的な書き方で問題提起してみよう。

今回の事件で学生が行った「出産直後の殺人」は、
中絶と一体何が違うんだろう?



法律以外の答えを望む。

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2007年06月13日

アロディニア3

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(07/06/11)「アロディニア1」、(07/06/12)「アロディニア2」の続きです。

ストレスが何故過大評価されるのか?
何より、実際に子育てを共同して「やっぱり親と一緒はダメ」となったならいざ知らず、
最初から「親と一緒に暮らさない」という選択をしてしまう若者は
どんな心性なのだろう?
(ここでは親側が同居を望まないという状況は置いておこう。
 実際問題、若夫婦側が同居を拒むことが多いと思う。
 ただし、「高齢社会白書」では、高齢者の子どもや孫との付き合い方として、
 「いつも一緒に生活できるのがよい」が年々下がり、
 「時々会う程度がよい」が年々上がっている。
 また、祖父母による虐待は、実父以外の父よりも多いという事実にも触れておこう。)


問題はここだ。

本来最も気を置けないはずの家族に、ストレスを感じてしまう。
それに耐えられない。
一人(夫婦だけの世界)を好む。軋轢耐性のなさ。
僕はそれを「自由という言い方で孤立を好む病」と呼ぶ。
衝突が起こる人と一緒にいられない。
「ウザい」という言い方で、自分を守る。


何故これが重要と考えられるのか?
そもそもこの話は虐待を如何に防ぐかというところから来ている。

そして、想像以上に両親と子育てするストレスが大きいことが分かってきた。
それと同時に、話を聞いていると次のことも感じられてきたのだ。

母親に耐えられないのと子どもに耐えられないのは同じ心性ではないか?

これは仮説だ。しかし、考えられる。
根本的には好いていたはずの存在が、自分と軋轢を起こすことに耐えられないのだ。
最も近しい他者が怖い。何故なら自分の価値を貶めるから。


親と共同の子育てをすることが虐待の理由となることもある程。
それほどのストレス。
となると、親との同居によって虐待は減るか増えるか?

しかしどうだろう、親の同居によるストレスにより虐待に至るというケースでは、
事後判断として、親の同居がなければその人は虐待を起こさなかったのか?
僕はそこを怪しむ。上記のように親に耐えられないことと、
子どもに耐えられないことには共通性があると僕は考える。


この考えで行くと、親が同居しないことによって虐待は増えるというのはどうか?

・相関関係はあるか?
親の同居を許す群は許さない群よりもストレス耐性があるため、
虐待を起こしにくい。同居の有無は虐待の有無に交絡する。

・では交絡因子を除去した上で因果関係はあるか?
親の同居を嫌がる人々と親が同居することで、
虐待をしないですむ人と虐待をしてしまう人がいるなんてのはどうでもいいことで、
親の介入がない群に比べて、これらの比率がどう変わるかが重要だ。
つまり、
a.親の介入を拒み、介入により虐待してしまった人
b.親の介入を拒み、介入により虐待をしなくてすんだ人
c.親の介入を拒み、介入されないことで虐待してしまった人
d.親の介入を拒み、介入されないことで虐待しなくてすんだ人
a/(a+b)<c/(c+d)であれば介入には価値がある。
(しかしこのような統計はないだろう。)


ここでは、ストレス耐性に着目して、あえて「同居」に拘り続けた。
実際には一つ屋根の下に住む以外に手助けする方法はあるだろう。
何にせよ「親との物理的な接近可能性(アクセシビリティ)」が必要だ、
ということだ。 「近くに住む」でもいい。


僕の主張の根幹はこうだ。
自由のために親を拒むあまり(価値観の「ズレ」への耐性がないあまり)、
助けを求める手段としての親を手放してしまう状況を是正すべきだ、
ということだ。


親がいることのメリットよりも、
 それによって生じるストレスによるデメリットのほうが大きい

と多くの親が実際に感じている。

何故、ここまでストレス耐性がなくなったのか?
それとも最初からなかったのか?昔は我慢してただけか?
いや、それでも昔は「我慢が出来た」という言い方も出来る。

最初の段階でまず「親とは住まない」という選択が
為されてしまうようになってきたことと、
虐待が増えていることは相関していると僕は思う。


明確な根拠はないが、ストレス耐性のなさの原因として、
若者側の他者恐怖に裏打ちされた「自由主義・個人主義」が
他人に不可侵な領域を作っているからだと僕は考える。

「夫婦は親と住めばいい」と僕が言う時、
最早それを人々が選択しないことを知った上で言っていた。
多くの人がそれを望まないことに対する感情的な批判も含めて。

けれど、選択しないのではなくて、選択できないのかもしれない。
その場合、「耐性がないんだからしょうがない」と言われておしまいだ。

アロディニア。
本来なら痛みと感じないはずの刺激を痛いと感じてしまう。
そんな人に、刺激に我慢しろというのは、確かに解決ではなくて新たな問題でしかない。


だとするならそれこそ構造的問題で、
「夫婦が両親と住みたくなるように社会を作り変える」のが一つの手となる。
しかしそれは遠すぎる手だ。

家族の再興こそが最も困難かもしれない。

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2007年06月12日

アロディニア2

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(07/06/11)「アロディニア1」の続き。

親と一緒に子育てしたくない理由を某所で僕は尋ねたことがある。

そこで返ってきた答えを要約するなら、
親の時代に正しかった知識を押し付けられる
こちらが『今はこうなの』と説明しても納得してくれない」というものだ。
ここで具体例として挙げられていたものは、医学的なものばかりだった。
おむつを外すタイミング、乳児ボツリヌス症、乳腺症などなど。

僕はその話を聞いたとき、そんなものは知識を更新したらイイだけの話で、
あたかも夫婦の両親がそういう「医学的な更新」を受け入れないような
前提で話をされても…と感じた。そんなに融通の利かない人ばかりじゃないだろ、と。
そもそも親がリードするのはそういうところじゃないだろう?

昔子育てをした人は、医学的知識の更新を知らなくて当然なのだ。
けれど、「親の力」ってのはそういうところに還元されるのではない。
僕は医学部出身なので乳児ボツリヌスが
比較的新しく注意されるようになった病気だと知っている。
麻疹の初期症状だって知っている。熱性痙攣は無治療でいいと知っている。
けれどそんなこと知ってたって、子育てのうちの一部も一部なのだ。
(それは子育てをされた人たちが一番わかっていると思うが。)

僕は上記のような例を挙げられるたびに、
こんなことで親は否定されるのかという驚きを感じる。
新しい医学の知識を知らないことを理由に、親が否定されるのか?
その点で昔のやり方に親が拘るというだけで?
親が昔のやり方にどの程度拘るかなんて、
結婚するまでの数十年の間に分かりきってることで。


医学的な知識以外の部分でのメリットまで消えてしまうのか?

そもそもリードするだけじゃなくて、
単純に人手が増えるという点でも両親がいることには価値があると思う。
例えば、子育てに疲れたら両親に子どもを預けて息抜きできる。


しかし、僕の予想は完全に的外れだった。
家族の再興ほど難しいものはないのかもしれない。

話を聞けば聞くほど、僕の中にある思いが蓄積していった。

彼女達は「家族といることにもう耐えられない」のだ。

祖父母は(自分の祖父母であっても)、頼まれもしないのにああだこうだと口を出し、
自分たちを疲れさせる存在なのだ。

これは軽い衝撃だった。
何で母親を疲れさせるの前提なのか?
何で夫婦の両親をそこまで厄介者に捉えるのか?

もちろん、他者の存在はストレスを与える。
しかし、何故そこまで自分の空間に他者が入ってくるのに耐えられないのだろう?
親が医学的に間違ったことをそう言えばいいじゃないか。
説明したら分かってくれるだろう。…くれないのか?

ずっと一緒に暮らすのが嫌なら、子どもが生まれてから
1〜2年の間だけ同居するという選択だってある。
近くに住むという手だってある。


一つ前の日記にも書いたが、完全にうまく言っている家庭なんてまずない。
普通の家庭とは何か?一般家庭の大多数が「普通」だ。
普通は相対的な価値観であり、何がマジョリティであるかということを基本的には指す。
(ちなみに、「普通」「正常」「常識」といった言葉を嫌うのも
 今の流れだ。それこそが近代社会の宿命だけれど。)
定義不可能でありながら、存在するものが「普通」だ。

家族を個人に喩えるなら、誰だって、辛い思いをしたことはある。
人を殺したいと思ったことも自殺したいと思ったこともあるかもしれない。
悲しい思い出、人を信じれなくなるような経験、挫折、そんな出来事は個々人で抱えている。
その上で普通なのだ。家庭もそういうもんじゃないか?
(当たり前だが、僕は頭の中に、常に笑顔が耐えない円満な家庭を思い描いているのではない。)


「ストレスを感じるはずがない」といった楽観は僕だって持っていない。
しかし、ストレスというデメリットよりも
親がいることのメリットが大きいという価値観は持っている。


そして、多くの親は、この価値観に反発を示す。

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2007年06月11日

アロディニア1

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親の子に対する虐待事件が起こる度に思う。
どうして夫婦は親と住まないのか?
親の子育て経験を利用し、体力の落ちつつある親を世話すればいいじゃないか。

夫婦が「二人だけの自由な、誰にも邪魔されない世界」を望んだ結果、
生きにくさが増大する皮肉。
新しい夫婦に子育て耐性がないのは当たり前なのだ。


自立と孤立をはき違えて、自由と孤独をはき違えて。
親と一緒に住むことで、
逆説的に自由で自立するというかつての知恵を思い出すべきだ。


もちろん、どの家庭だって「完全に」夫婦関係や
親子関係がうまくいっていることなんてない。
しかし、「許容できるレベルに」普通の家庭は上手くいっている。
更に言えば「子はかすがい」的効果で両親の関係もよくなるかもしれない。


こう言い方をすると、
「こうすればよい。」などと一言で括れるものじゃない、と言われるかもしれない。

けれど僕は一般論を述べている。
「上手く行かないこともある」。そりゃそうだ。完全な解なんてあるはずがない。


こんな意見もある。
「子育てに最初から100点を期待するほうが間違っている。」

何故だろう?100点の基準がわからないが、
僕は少なくとも昔の家庭で得られていたくらいの子育てが、
どの子も受けられるべきだと思う。倫理的に。
父母の能力が足りないからこそ、その解の一つとして親との同居がある。
(もちろん、両親と同居できない「特別な事情」があるなら話は別だが。)

現在の構造的な問題は、あえて子育てが難しくなる方向に
若い夫婦が自ら進んでいることなのだ。
両親との同居を嫌がる人が増え、「二人の自由」の謳歌と引き換えに、
子育ての困難さを選択するようになった。


そういう人たちは、親を否定しがちだが、よく祖父母批判として、
「価値観が古い」、「頭が固い」という言葉が使われる。
本当だろうか?

子育ては親のファッションではない。
ファッションなら自分の好きな服を着ればいい。
しかし、初めて武道を習う人が、
師匠に対して「あなたは頭が固いから自分で型を考える」と言わないだろう。

年齢が大きくなれば話は変わるだろうが、
若年(例えば3、4歳くらいまで)の子育てについて、
自分の方が親に勝ると考えられる理由は一体なんだろう?

親を「子育ての師」として見れないこと自体が構造の根本にある。
(これは子育てに限らず、
 「年長者の経験に対する尊敬」が社会的に失われてしまったことが
 原因だと思うが、ここでは置いておこう。)


現代日本人は、能力が伴わない癖に自己評価が高い。
そして、そういう人間ほど自由を愛し、束縛を嫌い、
結果として他者の助けが届かない場所に行ってしまう。

繰り返すが、これは構造的問題だ。
それに対する処方箋は、共同体の再興と公的支援の充実などだが、
前者について言うなら、最も簡単に再興可能と思われるのが家族だ。



と、思っていた。

けれど、どうやら事態はもっと深刻だ。

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