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2008年12月31日

更新履歴

更新履歴。過去のものは一番下にあります。

(08/02/28)ブログ再開します

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2008年02月28日

白い日

バレンタインデーの由来は聖ウァレンティヌス(Valentinus)だってことはよく知られているが、実際に何をした人なのかって、ローマ時代に兵士の結婚を禁止するという皇帝の命に背いて、こっそり男女を結婚させていた人だ。偉いね!でも日本(東アジア)にのみあるホワイトデーの由来を知らなかったので調べてみたら、偉人はおらず、皆が大好き全飴協(全国飴菓子工業協同組合)が「飴の原料の砂糖は白いから」というグダっとした理由で作った日だった。バレンタインの歴史性とのギャップ萌えを狙ったようだ。まあ、むしろイラッと来たが…。(wikiによると石村萬盛堂という店が白いマシュマロを作ったのが最初という説もある。)

更にwikiによると14日関係のいろんな日があるらしい。ネタ的に紹介。
日本
 4月14日:オレンジデー
   バレンタイン・ホワイトデーでくっついたカップルの愛を
   多産のシンボルであるオレンジで確認する
韓国
 4月14日:ブラックデー
   バレンタイン・ホワイトデーで贈り物を受け取れなかった「ソロ部隊」が、
   黒い服を着て黒い物(チェジャン麺、コーヒー)を食べる
 5月14日:イエローデー
   ブラックデーを過ぎても恋人が出来なかった男性が、
   黄色い服を着てカレーライスを食べる
 同じく5月14日:ローズデー
   恋人同士が薔薇の花束を送りあう
 6月以降は省略!
 (http://www005.upp.so-net.ne.jp/miki/sub805.htmにまとめを見つけた。)


さて、ホワイトデーに何を返すかっていうと、起源的には飴(キャンディ)かマシュマロだが、王道はクッキーなわけで、近頃はシャンパンが熱いらしい。そんなわけでモテる友達に聞いてみた。そうしたら「本命には真珠のネックレス、それ以外にはお酢」というモテる答えが返ってきた。ということでモテ要素を構成するものを真面目に書いてみよう。(しかし書いてみたら当たり前な感じになった。)

僕は誕生日やクリスマスは欲しい物を聞いて、一緒に選びたいタイプだ。つか気持ち的には「お金あげるから君の好きなものを買ってこればいいよ」と思っています、サーセンwwむしろそれ以外の日(何でもない日)のプレゼントを重視する。相手は期待してないから選んでて気楽だし、贈られること自体の意外性が修飾してくれる。だからホワイトデーに(予想外な)高級なアクセサリを返すというのは理解しやすい。

それよりモテ回答は「お酢」だ。高級なものなんてのはお金があれば買えるのであって、難しいのは高級でないプレゼントの方だ。彼曰く、「今年はお酢、ジャム、ハチミツで迷った」とのこと。ポイントは、食べ物であること、数千円以内に収まること、そして一番重要なのが、コミュニケーションツールとなること

昔「黒酢ダイエット」というのが流行ったが、ブームが落ち着いた後も、調味料というよりはそのまま飲めるお酢のバリエーションが増えているらしい。で、実際に美味しいらしく、例えばお酢を牛乳やソーダで割って飲むなど、「飲み方を工夫する対象」として面白みがある。で、実際に渡す時にこの中に入っているがお酢だと予め言ってしまい、更に「こんな飲み方があるんだよ」という一例を提示する。そして付け加えなければならない、「いい飲み方があったら教えてよ」。

そう、モテる男は、プレゼントにより即時的に相手を喜ばせることを目的としない。彼はプレゼントという行為において、コミュニケーションの持続を目的とする。そのためには、「君にプレゼントするものを、僕自身がまだよく分かっていない」という態度(フリでもいい)が必要だ。説明しきってはいけない。10代だと「秘密の共有」で嬉しくなったりするが、大人になっても心をワクワクさせるのは、「分からなさの共有」なのだ。プレゼント行為の持つメタメッセージは、「君を喜ばせたい」ではなく、「君と未知を共有したい」である。それが本当に未知である必要はない。お互いがそう了承できる程度の未知っぽさがあればいい(メタメッセージに必要なのは形式である)。ここでは、自らの好意を伝えるだけではなく、相手の好意を期待するという言語下の働きかけがある。

この点でジャム、ハチミツも同じことが言える。そのもの自体はよく知られているが、むしろ日常的なものだからこそ、新たな一面を提示することができると面白い。ちなみにこれらはガラスチックな容器に入っており、それ自体が高級な感じで作られているのもいい。まあ、そんなわけで、普通の男は好意を、ちょっとモテる男は驚きを、とてもモテる男は時間を贈る。…しかし一番すごいのは、「何がコミュニケーション的なのか?」を選択肢として挙げられる情報量だが。


結論:お酢は未来に開けている。
posted by あゆ at 03:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ再開します

お久しぶりです、あゆです。

半年間の謹慎期間を終え、ブログを再開したいと思います。
最早知っている人はほとんど誰も見ていないと思いますが。

内容は、本の感想とかそういうの。

p.s.
この半年の間に僕に連絡を寄こしてくれた人、返事しなくてごめんなさい。
来年度も医者にはならないけれど元気です。
posted by あゆ at 02:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月28日

複雑・相対

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・現在の「複雑性」の概念は、過去にあった「単純性」という対概念を失ってしまった。対概念のない概念は無内容と紙一重であるが故に、「複雑性」はその意味で不安定だ。

・単純だと考えられていた要素は、実は全て複雑だったのだ。単純なものなど最早存在しない。全ての要素は無限に細分化・相対化されるため、複雑である。

・民主主義も、自由主義も、資本主義も、人権も、国家主義も、民族主義も、伝統も、平等も、博愛も、それらを正当化する根拠はどこにもない。

・しかし、根拠がないものを採用することには価値がある。

・という価値観にも根拠はない。

・どこからか始める必要がある。その地点は、便宜上の出発点であって、恣意的なものだ。そこには偶然性も必然性もない。最後の根拠は、常に最後から二番目の根拠でしかない。

・思想群・学システムは円環構造を形成し、自律的な区別基準を持つ。普遍性は複数存在する。それを超えた、普遍的な普遍性など恐らく、存在しない。

・「お互いの承認」なんてやり方で現在の調停が出来るはずがない。「自著を批判する人間を著者は受け入れるべきだ」?違うだろ。承認とは、 著者の前で本を読まずに燃やす人間を受け入れることだ。

・社会には合意形成の振る舞いだけがある。根拠がないものを根拠があるように見せ掛け、複雑な事態をなるべく単純に見せるのだ。

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2007年08月27日

不確か

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・社会の圧倒的な不確かさに気付いた時、人は震える。社会には、比喩ではなく、確かなものは何もない。本当に何もない。このことに対する気付きは、数学者が四次元を頭に描くことが出来た瞬間に似て、経験ではなく思考操作の中で了解され、個人の中の爆発として体験される。

・全ての制度、全ての思想は、適当だ。何の根拠もなく採用されている。その採用が人々に幸せを齎すということにして、採用されている。

・社会学は自明を疑い、様々な物語を解体してきた。しかし、反常識ゲーム・反自明性ゲームとしての社会学も、様々なレベルの共同体幻想を解体させる左翼も、役割を終えた。何故なら、自明性のなさは出発点であり、前提だからだ。それは最早暴くものではなく、根拠のなさは驚きではない。幻想は終わった。神以外の神も死んだ。

・全ての価値観は対等であり、優劣をつける手段は原理的に存在しない。あるのは、どの価値観を採用するかという戦略だけだ。

・人々がある価値観を採用するには、幻想がなくてはならない。その価値観が優れているという幻想だ。故に、幻想は否定された後、戦略の為に再生産される。現実主義者たちは、幻想を作る。その最たるものが、多数決にせよ何にせよ、価値観に優劣をつけることが出来るという幻想だ。「正しい価値観は人によって異なる」という幻想だ。

・しかし現実はそうではない。「正しい価値観」自体、個人のレベルでも存在しないのだから。あるのは、「採用している価値観」だけだ。けれど、「採用している」という感覚は社会運営に好ましくないので、人々の心の中には「信念」として形成された方がいい。つまり、「ひとまずそういうことにしている」のではなく「本気でそう思っている」方が社会的に面倒が少ない。また、個人も楽しい。何故なら信念には強度がある。だから「個人のレベルでは正しい価値観がある」という幻想が要請される。現代日本においては、システムの中でその幻想は上手く再生産されている。

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2007年08月19日

案外忙しい

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最近忙しくて、とてもとても更新が滞ってしまいました。
なもんで過去日記を埋めて行きます。

一番上の更新履歴という記事を見ると、どういう順番で更新したか分かります。
(つまり、日付順に更新してないってことです。)

これだけじゃなんなので、
「テンプレート変えました」って報告するためにテンプレートを変えてみました。
さっぱりしたのでよろしくお願いします。

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2007年08月15日

靖国参拝

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今日、靖国を参拝してきた。僕が初めて靖国を参拝したのは数年前のことなので、まあ常連でも何でもない。高校時代から思想的な右傾化(もちろん僕は中道化だと思っているのだが)が始まったことを考えれば、数年間東京にいながら靖国に参拝しなかったことになる。

靖国は右にも左にも一つの記号だ。それは政治問題を超えて、個人の内面で葛藤を生じさせる。僕が靖国参拝しなかったのは、僕なんかが行っていいのか分からなかったからだ。僕は靖国に何の思い入れもない。僕の祖先が祀られているかもしれないが、知らない。そのような状況で「行く」という選択をするのは、何か嘘っぽかった。行って何に感謝するのか。何を想うのか。「保守派として行かなくてはならない」という想いはもちろんあった。自分を納得させるために。しかし同時に、「保守派として」という言葉を用いた途端、大切なものが損われた。自分の思想的な立場を自分で守るために参拝するのは嫌だった。

そもそも保守派というのは、靖国参拝について、左・右に関わらず行くのが当たり前と考えている。ここで言う「当たり前」というのは「行くべきだ」という意味ではないが、置いておこう。故に参拝は保守の表明でも何でもない。保守派はこの観点から、靖国に参拝するか/しないかという次元ではなく、政治問題化していること自体に憤る。

ただし、話は逸れるが、靖国問題は既にデッドロックから抜け出していると僕は思う。本来靖国問題というのは、端的に特定アジアと日本のメディアのマッチポンプだったわけだが、2005年くらいから様子が変わってきた。それまで靖国問題は中韓に必要だから起こされていたのが、中韓政府にとっても懸案になってきたのだ。結果、靖国問題は両国政府の外交カードになった。既に「靖国問題は中韓の外交カードである」という認識は古い。日本と中韓政府は、恐らく安倍政権発足時に、何らかの合意(靖国問題という外交カードを同時に捨てる)に達している。

日中韓の共通敵は、自国のメディアだ。しかしその中でも日本のメディア。中韓大好きだった日本のメディアは、愛した中韓政府によって既に軽蔑され、捨てられた(今後も他の場面では利用されるだろうが)。安倍が「靖国に参拝(献花でも玉串でも何でもいい)するかどうかいわない」と言ったとき、日本では右からも左からも批判が起こる。何で?左の人が本気で怒るのは理解できない。アジアに配慮?安倍のこの態度は中韓との合意の上だよ。そんなの当たり前だろ。右の人が怒るのはまだ理解できるが、靖国に関しては小泉の行動こそが安倍の思想だ。って保守派なら分かるだろ。「小泉は参拝するのに安倍はへたれ」的感想が2chを覆っているが、ずれまくり。安倍は中韓に配慮しているのではない。メディアの力を排除しようとしているのだ。ネタとベタを使い分ける。日本国民が安倍の思想を知っている限りにおいて、我慢していると知っている限りにおいて、有効なバーターを引き出せるなら、参拝しないことも許容しよう。ただし、保守派として、最初から靖国参拝に反対する人間は信用できない。

安倍の対応は日中韓にwin-winゲームを構築している。態度の曖昧さはメディアを無化する。安倍が戦っている相手は中韓ではない。靖国問題の最大の戦犯であり、最もアジアの安定を拒んでいる日本のメディアだ。しかしそれに日本国民が気付かないので、日本の1人負け状態になっている。まあ、それでいいや。安倍は歴任中はバッシングを受けてもいいという結論に達したように見える。自民の膿を出して、重要法案を通して、下らないことでバッシングされて消えればいい。数十年後に評価されればいい。

閑話休題。というか逸れた内容の方が多い気もするが、最近靖国に行けるようになったという話。80年代のメンタリティは厄介だけど、参拝して参拝した自分への満足みたいなのが生まれるのも避けられないけど、変な義務感も生じてきたけど、まあ、それでいいや。

中途半端だけどこの辺で。

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2007年08月14日

80年代のメンタリティ2

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前回から続くこの文章を書こうと思ったのは、とある小説を読んだからだ。『1000の小説とバックベアード』。第20回三島由紀夫賞を獲った作品だ。

ストーリーの概略はこんな感じ。新潮社のサイトから。
僕は「片説家」。「小説」と違って、個人のリクエストで、その人のためだけに物語を書くのが仕事だ。いや「片説家」だった。昨日、解雇されたのだ。途方に暮れる僕の前に、自分のために「小説」を書いて欲しいという女性が現れた。しかも、失踪しているという彼女の妹は、かつて僕がいた会社が、片説を渡した相手だという。

西川美和の『ゆれる』という傑作(映画で観たが)を抑えて三島賞を獲っただけでなく、小説の中で小説について考えるというメタ的な構図に興味を引かれて手に取った。近頃僕は、そういうものが読みたい気分だったのだ。他の人間が、空中から自分を見ている様子を見てみたい。

しかし、読み出して困惑した。この物語・文章が受け入れられる理由が分からなかった。いや、三島由紀夫賞を選ぶ連中が受け入れたとしても、僕は受け入れられなかった。思えば本屋で平積みされている表紙を見た段階で臭かった。こんなに読みにくい小説も珍しい。80年生まれの26歳が書いた小説は、「21世紀型『悩める作家』」と評されていた。読み終わった後、その文句が実に的を射ていると思った。読んでいると鏡で自分の顔を見続けるような吐き気を覚えたからだ。

小説から抜粋。
くさくさしてきたので、わざと暴力をやってみよう。
空のワイン瓶を最大限の力を込めて投げた。
ワイン瓶は壁に激突して中途半端に割れた。

家族、宗教、人生、仕事、社会、恋愛、戦争…そうしたものに興味はないし、小説の題材にしたいとも思わない。書店に並んだり文芸誌に掲載される本物の小説家たちのように、わけのわからない創作衝動に駆られたり、書かずにはいられない精神状態に陥ったり、心の叫びが爆砕寸前になったり、書かなければ死にそうになったり、なぜか書かずにはいられなくなったり、書くつもりはないのになんとなく書いてしまったり、書けないことを知っているのにそれでも書いてしまったりはしない。

書きたいことがない。

綺麗なものだけを見ていたいから、自分を穢した。
綺麗なものに到達するために、茨の道を選択した。
綺麗なものがほしいから、悪と悪と悪に染まった。
ずるい。
そんな簡単に幸福にさせないぞ。

人間は年齢を重ねるたびに完成されていきますが、私はそうした人生に、なんの興味もありません。どんどん逆行したいのです。純粋な間違いをおかしたいのです。私は私の間違った思想を信仰し、その結果として失踪しました。

やがて模倣をするようになり、さらに模倣自体を楽しむようになり、最終的には他人の物語によって自分自身を語るようになり、嫌っていた評論家連中と同じ種族になっていると自己嫌悪になりながらも仕事を続けているうちに、本当に自分自身を語っているのか自信が持てなくなってしまい、

人間は、自分に才能がないことにかならず気づく。自分が天才じゃないことにかならず気づく。でもそのときに屈服するな。あきらめるな。逃げるな。つらくても可能性がゼロでもふんばれ。笑うやつがいても無視しろ。なぜならそいつも才能がないからだ。

…うそ臭い。そう思っているのに合わせようとするから、だめになる。演技が入る。教科書の受け売りになる。真剣にやれなくなる。白ける。遊びが入る。格好をつける。疑わしくなる。にせの告白をする。虚栄を張る。魂が入らなくなる。自分の文章を馬鹿にする。自分の思想を馬鹿にする。心の味を、死の味を、そんなことで書けるはずがない。

最後の引用なんて80年代性そのものだ。自分のことを馬鹿にしながら、自分のことを語る。他の引用もそうだ。こういった内容そのもの以上に、実際に文として書いてしまうということの「異常さ」がある。やる前に定型を並べ立て、そのどれでもないことに安心して落胆し、自分がそのどれかに嵌れば「客観視」が首をもたげて熱を奪う。自分は定型を消費したいだけじゃないか?一度始まった疑問は無限に後退し、終わらない。

『1000の小説とバックベアード』では石川啄木の『弓町より(食ふべき詞)』が引用されている。
自分でその頃の詩作上の態度を振り返ってみて、一つ言いたい事がある。それは、実感を詞に歌うまでには、随分煩瑣な手続きを要したという事である。たとえば、ちょっとした空地に高さ一丈位の木が立っていて、それに日が当っているのを見てある感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁いある人にした上でなければ、その感じが当時の詩の調子に合わず、また自分でも満足することが出来なかった。

この感覚が、詩人でも小説家でもない多くの人間に共有されるのが80年代だと思う。現実生活において、常にこのような感覚が持ち上がる。曝されやすい分、慣れるけど。

片説家を否定しながら片説を書き、小説を懐疑しながら小説を書く。問題は、対象となる世界や方法論にあるんじゃなくて、当然、自分にある。どうにかなるのか。

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2007年08月13日

80年代のメンタリティ1

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80年代のメンタリティというのが存在する。といっても他の80年代生まれに共感されるかどうか分からないのだけれど、僕がこれだけ感じているのだから、他の人も感じていないはずがない、なんて思えてしまうんだからしょうがない。

それを一番上手く表しているのが今まで何度も紹介しているRADWIMPSというバンド(の楽曲の歌詞)なのだ。小説にせよ、映画にせよ演劇にせよ、キャラクターの造形に共感することはあるけれど、RADのボーカルである野田洋次郎の思想に僕は共感しない。共感ではなく、僕はそれを知っている。僕を説明しているように感じてしまう。

「セツナレンサ」から歌詞を抜粋。ちなみに野田は全楽曲の作詞・作曲を担当している。84年生まれの22歳だ。
楽しくないのに僕たちは 心に黙って笑えるから
悲しくないのに僕たちは どこからか涙流せるから

昨日守ってたナニカをね 明日は壊してしまうけど
昨日交わした約束もね 明日は破ってしまうけど

今の僕は ここにいるよ 大事な人もいるんだよ
守っている約束もね 今は 今は 今は あるよ

優しくないけど僕たちは 誰かを守ってみたいんだ
寂しくないけど僕たちは 誰かと笑っていたいんだ

虚しくないのに僕たちは まん丸い月を見上げるのは
誰かに僕を見ていてほしい 嘘つきな僕を見ていてほしい

切なくないのに僕たちは 悲しい歌聴きたくなるのは
誰かに僕が似ていてほしい 嘘つきな僕に似ていてほしい から

80年代生まれは90年代に思春期を体験している。既にバブルは弾け(経済的には「失われた10年」)、酒鬼薔薇とオウムと阪神大震災が 当たり前のものとしてそこにあり、エヴァと援助交際と9.11が並列していた。けれど僕はカタストロフィックに事態を捉えることはしなかったし、思春期にありがちな通り、物語に人格形成の影響を受け(もちろんエヴァだ)、人間(=自分)不信ぶって、「でも結局人は繋がらなきゃね、痛いけど」的結論を出して満足していたのだ。

けれど、恐らく周囲の状況は分析も言語化も出来ないやり方で僕に色を塗っていった。「時代の閉塞感」なんて僕は感じなかったけれど、オウム的なものも酒鬼薔薇的なものも、理解不可能なものではなくて理解可能なものに近かった。というより、ありうる事態として学習した。エヴァは聖書だったし。そういった暗さ(便利な言葉!)は否応なく入り込んでいて、今になって僕はそれを指摘できると同時に、異常事態を食べて自分の血肉に出来てしまったことに驚く。

80年代以降の情報化社会は、オリジナルの前にイメージが先行する状況を作り出したが、90年代以降、オリジナルという概念自体が消える状況が現出してきた。自分が「オリジナルだと信じれない」という感覚だ。これは個性とは別次元の話で、情報網の整備によって皮肉にも画一化された情報がもたらす、思考パターンの画一化だ。

僕は、80年代は、異常性も、特異性も、オリジナリティーも信じない。コピーと代替可能性がそれに先行する。と、経験で知っている。全ての出来事は、起きた瞬間、典型・定型になる。日常に埋もれるということではない。日常だということだ。抽象的な言い方になってしまったが、現実の生活では次のような不愉快が生まれる。「僕が思いつくことは/することは、誰でも思いつく/する」「僕は僕の感情を信じれない」という感覚だ。(言うまでもないが、「ゲーム4」で書いたような「権力による自発性の演出」とは別のレベルの話。)「そのもの」ではなく、「そのものっぽいもの」として「そのもの」を見てしまう。例えば僕が誰かに振られたとして、僕は「誰かが誰かに振られる」という定型を先行させ、それに僕を当てはめる。現実が、イメージの代入物になる。

自分の嘘っぽさ。何をしても先行イメージの消費に陥る。本気になれないんじゃなくて、本気を信じられない。だから、楽しくないのに笑って、悲しくないのにまん丸い月を見上げることしか出来ない。悲しくないのに泣いて、切なくないのに悲しい歌を聞きたくなる。「定型の外側に出られない」と言いながら、定型に憧れ、自分から縛られることを望む。イメージを逃れられないという強迫観念が、自らをイメージに嵌め込む。嫌なのに、嫌だから嵌ってしまう。ある意味では自分を客観視し過ぎるわけだが、客観視というよりは「乖離」という言葉が近い気がする。

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2007年08月12日

ゲーム4

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今の君にはゴールが見えない。

君の直観は正しい。君は十分ゲームに精通してきた。24年。如何にこのゲームがマジョリティの信じる「ルール」とは無縁に動いているか知っただろう。暴力を一部の人間は振るうことが出来、罰されないことを知った。暴力と経済力・信頼は互換性があることを知った。道徳により莫大な資産を築くプレイヤーがいることを知った。経済力と信頼は互換性があることを知った。自分が望んでいた多くのものが、一部のプレイヤーに望まされていることを知った。君が見つけるものは用意されているものだと知った。上級者は顔を出さずに「ルール」の外側で戦っていることを知った。プレイヤーの公正さ、自由、反暴力の思想こそが、上級者のゲーム進行を最も強化していることを知った。そして何より、多くのプレイヤーがそのことに無関心にゲームを行っていることを知った。

君の直観は正しい。君は今危険な場所にいる。そこより先に進むと、君は自分を、僕を呪うことになるだろう。いや、今でさえ、僕を憎んでいるんだね。知らなければ幸せでいられたのに。知らなければ、自分で選択していると思えていたのに。ゲームの構造は不透明だ。知識と論理を持つ人間だけがそこを覗きこめる。けれどそこにあるものは、闇だ。想像を絶するゲームがそこでは行われている。志を持った人間ほど、その事態に気付き、構造の強固さに愕然とするだろう。

君はそこに至り、あまりの暗さと、自らの圧倒的無力に絶望する。自らの身体・金・信頼リソース程度では構造は変えられない。他の人間に伝えようにも情報は統制されていて、逆に自分が嘘をついているように見られる。真の上級者が誰かも分からない。そして君は心を折られる。

それがゲーム上級者により最後に張られた罠なんだ。精神的な去勢。実に良く出来たゲームだよ。構造に気付かない人間は、上級者の与えた枠組みの中で自発的に、喜んで生きる。でもね、それはそれでいいんだ。軽蔑してるんじゃない。ただ事実として、間接的に上級者を利している。そして気付いた人間は、気付いたことで心を折られる。心を折られた人間は、二度と立ち上がれない。何故なら、無理矢理押し留められたのではなくて、状況を知って自ら絶望したからだ。自発的に矛を収めたからだ。


話は終わりだ。何でこんな話をするのかって?君は僕に似ていたからだよ。僕の二の舞になってほしくないからだよ。今の僕にはゴールが見えない。僕はもう、心を折られてしまったんだ。コントローラーが自分の手にあると信じれなくなってしまった。最早自発性を信じれないんだ。しかしこのままでは、数年後の君もそうなる。ゴールを本当に見失う。君はどうすればいいのか?構造から目を背けてはダメだ。君は既に踏み出し、もう戻れないんだ。君は構造を見据えながら、それでも絶望しないという道を選ばなくちゃならない。それは本当に困難だ。知るほどに、心に血の黒い染みが拡がっていく。けれどそれを抱え込んだまま、ゲームを続けるんだ。公正さ、自由、反暴力、相手に用意されたツールを利用して自分と大切なものを守るんだ。そして時には不公正と無秩序と暴力を使う勇気を、道徳との決別を、経済力と信頼を暴力に変える不誠実を受け入れるんだ。たった一つを守るために。何が大切なものかを忘れなければ、僕はそれを肯定するよ。

ちくしょう悲しい。辛い。無念だよ。でも、もう立ち上がれない。あまりに無防備に近付きすぎた。君は慎重に近付くんだ。そして忘れるな、君が最後まで持つリソースを。それは身体でも金でも信頼でもない、君の意思だよ。僕はもうゲームをおりる。君に全部伝えたからね。だから君はその意思で僕を殺すんだ。弱虫な僕を。心折れた僕を。そして僕は君でやり直そう。

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